考察するほどのものでは、という感じもするが。
息子が赤ん坊の時、
眠くなると泣く子だった。
若い母であった私は不思議だったのだ。
なぜ泣く。
寝ればいいだけじゃないか。
起きても泣く。
なぜだ。
起きただけなのに。
赤ん坊は泣くのが仕事とはいえ、
寝ても覚めても泣く子だった。
今朝、ふいに納得したのだ。
息子は寝るのが嫌だったのだ。
起きてるのが楽しくて。
そして起きるのが嫌だったのだ。
寝てるのが楽しくて。
そしてそれは、小さかった時の私だった。
今もだ。
赤ん坊が生まれた時泣くのも、
そういうことだったか。
5歳の息子に生まれる時どうだったかと聞いたら、
「嫌だった」と言っていた。
息子はいつも、その瞬間瞬間の世界を愛し、
私もまたそうであったと、思い出した。
それでも、死ぬ時泣くとは限らない。
死にたくないと泣くかもしれないし、
(それは恐れからだけでなく)
満足して笑うかもしれない。
満足して、泣くかもしれない。
この世界を愛していたと知って、泣くかもしれない。
覚醒と夢の境は、
いつもそんなものなのかもしれない。