ああ、なるほど、と思ったこと。
アカシックを正確に読むには
ジャッジを手放すことは必須なのだけど、
なぜかといえば、
アカシックといえど感情がついてると、
結果がそこに引き寄せられてしまうからだ。
まぁそれもそれで、良くも悪くもないんだけど。
よりフラットに、よりクリアに観ようと思ったら、
ここはひたすら自分への信頼しかない。
拡大状態だとめちゃくちゃクリア。
情報量も多いし、ありとあらゆる説明がある。
塵一つないクリアな情報だ。
その中で一番自分にとってわかりやすい情報が、
見出し大文字でピックアップされるという感じ。
縮小状態だと塵が中間にあるので、
こう、一見透明なレイヤーも重なればそれなりにということで、
クリアさには欠けるが、元は同じだ。
なので若干情報量が少なかったり、
ぼやーんという感じにはなる。
でも、元は同じなのだ。
同じなので、そこは信頼するしかない。
コツがあるとしたら、
無責任に鼻でもほじりながら観ることだ。
期待もせず、感情もつけず、ジャッジもせず、
来たものをそのままだ。
それが間違うことなどあり得ない。
そして自分がその状態であれば、
逆に観てくれる人がどうであれ、
期待や感情やジャッジがあろうがなかろうが、
それはそれ、なのだ。
自分が観たか、自分を映す他者が観たかという違いがあるだけだ。
ああ、どこまでも自分なのだなぁと思うだけ。
まぁ、あれっすよ。
つまらんっちゃあつまらん。
面白いっちゃあ面白い。
どっちでもいいね。