この、弱いものがいじめられるというところは、

どうにも感情の動くところだと思う。

 

いじめられた経験がある人はもちろん、

当事者でなくても「許せない」という感情が動く。

嫌悪感や、加害者に対する排斥衝動など、

如何ともしがたいわなわな感がある。

 

世の中には

「それはさすがにあかんやろ」という犯罪がわんさかある。

 

 

一方で、そんな犯罪のえげつない感情さえも愛するのが魂だ。

そんな許せない犯罪者をも、愛してやまないのが魂である。

 

被害者にあるトラウマになるような感情も、

加害者にあるおぞましい感情も。

 

 

さきほど、小児性愛者(犯罪歴あり)をインタビューした動画を見た。

 

犯罪を犯すときのパターンはふたつあると彼は言う。

ひとつはシチュエーション的に可能だと思える時。

もうひとつは、もうどうにでもなってしまえと、

自暴自棄になるとき。

 

「もうすべてどうなってもいいから、

 自分のやりたいことをやってしまおう」

 

ああ、このフレーズは、顕在意識のパワーを使う時に思うやつだ、と思った。

不可能を可能に変える時使うやつ。

 

ああ、そりゃ現実化するよね、と思ったのだ。

 

そりゃー万障繰り合わせて被害者を引き寄せるよね。

 

 

魂的にはそれが極上の感情体験だということは認識している。

 

でもやっぱり、あんまり好みじゃないな。

 

 

ここは何度も見て、解放統合はしてるけど、

もうちょいやっとくかーと思った次第。