そのとき、世界はちょっと独特の見え方をする。

最初は30代の頃だった。
そのときお付き合いしてた人を思って、
足元の植物を見ながら坂道を登っていた。


ふいに、白い小さな花の光が増し、
迫ってくるような感じがした。
たぶんアリス症候群のそれと似ている。

花だけでなく、周りの全てが輝いて見えた。
全てが微細な光を発し、ああ、全てが繋がっているのだとわかった。

ほんの数秒のことだった。


そのときは、それが何だったかわからず、
恋をすると世界が輝いて見えるってこういうことか、と思った。



二度目はそれから数年後。

「愛ってなに」と問うたら、
「すべてそれでいいということ」という返事があった。
しばらく問答をして、愛の懐の深さを知った。
全てって、本当に全てなんだ・・・・。

そのときに見た外の景色もまた輝いていた。
なんてことないこの世界こそが、奇跡的に美しいのだと知った。
それは、いわゆる奇跡よりも、もっと奇跡的なのだ。

世界には愛しかなく、愛によってしか存在することもなく、
ありとあらゆる全ては、愛の結晶なのだと知った。
物質も生物も思いもすべて。
愛の名の下に、全てがその存在を許されている。


そのときも、それがどういうものなのかわからなかった。

そして、なぜそれが「思い出す」という形でくるのかも。



同時期に、ほんの一瞬、
「何のために生まれてくるのか」と問うたら、
「感情の体験」という答えがあった。

このときは、あまりに一瞬で視覚的な違いは認知できなかった。


次が数年前。
これは漫画にもしたのでそちらを参考に。
このときは時間も小一時間ほどだったので、かなり楽しめた。

問答は意識1セットでどーんとくるので、
あとで思い出すための言語化が必要なことは承知していたが、
情報量があまりに多く、全てにインデックスをつけることはできなかった。

世界はやはり、微細な光の粒子として見えていた。
以前より格段に、そして詳細にそれがわかった。

現実とは何なのか。

人とは。

物質とは。

地球とは。

世界とは。


五感とは。



それらの答えを一通りすべて得た。
思い出すという形で。


これらを意識の拡大という。



次回は是非、自分の出生を思い出したいものだ。
魂の記憶すべてを。