私は食や健康というものに、あまり関心がない。

野菜はもちろん、肉も魚も食べるし、
ジャンクフードもたまには食べるし、
スーパーのお惣菜もよく買うし、レトルトも食べる。
タバコも吸うし、お酒もたまに飲む。


私の所見では、あんま関係ないのだ。

究極、これはほんとに究極のところ、
全ての物質は光の粒でしかない。

プラーナがごはんになっても、なんら不思議じゃない。


ただ、あー、いろいろ意味づけはしてるんだなぁという感じ。
そして、ただの光の粒にいろんな情報が付加される。

また、それがあってこその物質それぞれの個性だ。

野菜を食べれば野菜の、肉を食べればその動物の意識も取り込む。
毒を過剰にとれば死んでしまうし、
丁寧に育てられた野菜はその想いも食す。


それでも、それらはやはり、後付けされた情報でしかない。


実のところ、それらの情報をキャンセルすれば、
毒も有機作物もなんら変わらない。

タバコで肺がんになる人と、
100歳で元気なヘビースモーカーがいるのは、
そういったところなのだ。

好みの情報を付加された食物を積極的にとるもよし、
いらない情報をキャンセルして食べる喜びに浸るもよし、
食べることがそもそも面倒なら、プラーナだけでもよし。



私はどこか、食べないと死んじゃうーと思っているダイアードに対して、
ちょっと納得してもらうために食べるということが多い。
布団に入ってから騒ぎ出すと、さすがに
「死にません!」と黙らせることもあるが、
ちょっとお腹に何か入れてあげるだけで安心するならチョロいと思っている。

二度の断食で、ダイアードも食べないと死んじゃうは嘘ってのも理解してる。
なので、すっごいお腹が減った!!!ということは滅多にない。

ダイアードは小さな不安があると、
手っ取り早く安心する手段として「お腹すいた」ということが多い。

そのあたりを承知して、ああ、夜の暗闇が怖いのね、とか、
ああ、何か小さな穴ができた感じがして埋めたいのね、とか、
あと単に興味から、食べてみたいと思ってるんだなとか、
子供の口に飴玉突っ込む感じで、なにかを食べる。


もうひとつは、誰かとおしゃべりするとき、
やっぱりお茶飲みながらとか、
おかし食べながらとか、ご飯しながらとか、
そういったコミュニケーションの手段として、
普段から胃は使っとくか、という感じだ。


食べる量は以前に比べたらほんとに少なくなった。


種類も少ない。



それでも、だから痩せるということもなければ、
それで健康を害するということもない。


まぁ、うどんが続くとむくむけどね。



自分がこれほど食に興味がないということに、
気が付いたのは解放を始めてからだ。




以前の私は、自分は食いしん坊だと思ってました。

そうでもなかったーーーー。