いつだったか、ゲリーが言っていたことに、
予言が当たりにくくなってきている、みたいなことがあったかと思います。
個々で現実を選び出すから。

これは要するに、現実の多様性のことかと。

たぶんこれまでもいくぶんそうだったかとは思うのだけど、
それがもっと大胆に表現されていく時代へ入っていきます。


例えば、大きな地震がある、という予言を聞いたとします。


聞いたということは、すでに自分の意識にあるということ。
聞いた時点で、すでに知っているわけです。

その地震に備え、くるものとして認知した場合、
「地震がある」という未来を選択しています。

その地震が内側にあるものだと認識し、
そこにある感情やらなんやら解放し、
拒否ではなく選択をした場合、
被害が軽減された地震のある未来、
あるいは地震のない未来を選択できます。
ま、そのへんは何を意図するかってとこなんですが。

友人がうまいこと言ってましたが、
「災害は地球のくしゃみみたいなもの」で、
それ自体悪いわけでもいいわけでもない。

人が大勢死ぬとしても、悪いわけでもいいわけでもない。

ただ、そうあるものとして地震はあります。



私はどちらかというと、エネルギー自体を散らすとか、
変換して放出するとかってイメージをします。
そして災害にある阿鼻叫喚、愛するものを失う悲しみ、
そのあたりも解放しときます。

それはいつかの自分のはずだから。
なるべくリアルに、感情を蘇らせます。

戦争なんかもそうね。
どんだけやってきたことか。

魂意識はともかくとして、
肉体意識としてはやっぱり生きてなんぼ。

にぎやかな未来を選択したいと思ってます。


ニュースはあまり見ませんが(テレビがないので)、
よそ様のお宅や、母屋で見ることがあります。
あるいは、たまたま知ることも。

そんなときも、ああ、私は今この現実を選択しているんだなと思います。

こういうのはもういいなと思うものは解放しときます。



大災害のある地球と、小さな災害の地球のどちらも選択できます。
大きな事件のある地球も、たいした事件のない地球も、
どちらも選択できます。

そしてどちらを選択しても、
それぞれが混ざり合いながら、まったく違う現実を持ちながら、
違和感なく地球にいます。

たぶんそれは「その話題が出なかった」みたいな感じで。


ああ、それから、

覚醒はしない、と決める人も、ある程度いるだろうなと思っています。


それはそれでいいよね。


何を選んでもいいんだから。


意図をする。


喫茶店でコーヒーをオーダーするように。