自分の世界にいる他者に、
自分のどんな意識を当てはめているかを認識すること。

私の世界にも苦手な人はいる。

なぜ苦手なのかをつきとめていく。

まぁ、何重にもなってるので、
一度に全部ってことはなかなかないけど、
それでもずいぶん軽くなりました。


「あれはあかんで」と思う人がいるなら、
それはそのまま、自分に対するジャッジ。

例えば誰かの服装の乱れが気になってしょうがない、とか。

それはそのまま、自分に対して服装の乱れがあってはならない!
そう思ってるってこと。
服装の乱れは心の乱れ!と思っているなら、
心を乱してはいけない!と思ってるってこと。

ここにさ、なんかしら、くっっっっっって感じがあんじゃん。

あかん!あかんのだって!あかんーーーーー!みたいな。

この感じ、サバイバル意識ね。
なんかこう、ぎゅうううううううって感じ。
離さへんでーーーーーみたいな。


ってことは、そこに固執することで、
何か得ているものが必ずある。

きちんとした服装を心がけてきたことで、得てきたもの。
逆にそれを得るために、すっごい気をつけてきたってもの。

例えば、

「あの人はちゃんとしている」という他人からの評価。


そしてそれが得られなかった時のしゅう恥心とか、
失敗の経験だとか、そんなのもある。



ねえねえ。


その評価、必要?


もちろん「必要です!」と元気なサバイバルをお持ちの方は、
そのままでぜんぜんおっけー。

もし必要ないかって思ったら、
そのはずかしーーーーーーーってのや、
やっちまったーーーーーーってのを、
自分の中にリアルに再現して、味わいつくそう。

うわーーー、これは恥ずかしいーーーーーーーって、
ちょっと他人事のようにその感じを確かめる。

で、この感情はもう体験しなくていいかって思ったら、
体からすーーーーっと抜けてくのをイメージする。
深呼吸して息と一緒に吐き出すと効果的。



これやると、

あれ?人の服装そんなに気になってないかも?

って思うと思うよ。


そうした上で、きちんとした服装って気持ちいいわって思うと思う。
でもリラックスした服装も悪くないわねって思うと思う。

ね。

どっちも選べる状態。




他人ってのは、自分の意識が現れるための
”はりぼて”くらいに思ってちょうどいい。