最近、私の葛藤をダイナミックに刺激する方がいました。

例えばAさんとします。
Aさんの言動が気になる。
なんだか気持ちがささくれる。

腹がたつ。
悲しい気持ちになる。
反抗したくなる。
否定したくなる。
否定されてる感じがする。

とにかく、違う!と言いたくなる。
相手が間違ってる気がしてならない。

確認していませんが、おそらくAさんも似た心境にあるかと。
ここに葛藤の共鳴があります。

ここで何度も自分に言い聞かせる必要があります。
「すべて自分の意識なのだ」

Aさんは、私の世界において私の鏡です。
Aさんとのやりとりは、自分とのやりとりです。
言ってしまえばAさんの姿をお借りしてるだけです。

実際にAさんが間違ってるわけでもなければ、
Aさんが敵なわけでもない。
むしろ私の葛藤をまざまざと見せてくれる貴重な人物です。



上記の感情、「腹がたつ」は、自分が自分に腹を立てているのです。

例えば私はAさんが、誰かの役に立ちたいあまり、
自分を置き去りにしているように感じて、そこに腹を立てていました。
まずは自分だろ、と。
これは葛藤の凸凹の凸の方です。

自分の意識を見渡して、そうだった自分を探します。
そう、まさしく私がそうでした。
そであった自分を自分が責めているのです。
そんなことしてるから苦しくなるんじゃん!と、責めていました。
そんなことしちゃダメなんだって!と責めていました。

Aさんに見る痛みは自分の痛みそのもので、
だからそれを見るのが嫌だったのです。
私と同じ過ちをしないで、と思っていたのです。

実際のAさんが自分を置き去りにしてるかどうかは別の話です。
そこは、実のところわからない。


さて、そこまでが自分の意識にあることを確認できたら、
次は解放作業を行うだけです。

まずはこの不快な気持ちを、深呼吸3つで吐き出します。
そのとき、その気持ちに溺れることなく客観的に、
解放を意図して吐き出します。

そして今回のこれは「後悔」というものです。
そのとき、それができなかった自分を「しゃーない」と許します。
そして今、そこを抜けて自分を見つめることに取り組んでる自分を確認して、
それもまた、この道の通過点だったことを確認します。

後悔や罪悪感は、きっぱり許すに限ります。
そこは補おうとか、繰り返さないと誓えば誓うほど繰り返します。
あー、しゃーなかったわー、で許します。

自分の中のAさんであった自分を手放して、
今の自分の中のAさんに、こんにちはします。


現実は変化を起こしました。


ここにも共鳴があったと思います。
私が自分を解放すると同時に、おそらくAさんも何か解放したのでしょう。


これは凸部分だったので、次回この凹部分にいきますね。