キノコタケノコ戦争くらいだと、
ああ、まあ、そうよねって思えても、
これが実際の戦争となるとそう思えないのはなぜか。
命がかかってくるからです。
命がかかってくるので、そんな悠長な事言ってられない。
生き延びなくてはなりません。
これを、サバイバル意識と言っています。
ジャッジは生き延びるための判断と大きく関わっています。
そしていかに身の安全、安心を維持するかに根付いています。
そのために、いろんな作戦を駆使して、無事に生き残る事ができると、
それはサバイバル戦略として、重要な意味を持ち、
これがあるからこそ生きてこられた、という確固たる価値を持ちます。
サバイバル意識は、死なない為の安全弁として重要です。
「サバイバル意識は大事」これを腑に落としたところで、
不要なサバイバル意識もある、というとこに入っていきます。
もう断捨離ですねーーー、これねーーー。
ココロの断捨離。
(ツヅキますがその前にちょっと余談)
もし、戦争や災害が死に直結してなかったら、
もし、人が不死身であれば、サバイバル意識は不要かもしれない。
そしたら、全ての戦争は、キノコタケノコ戦争と同じ比重になりますね。
おもしろいですね。
魂意識にはジャッジがないです。そりゃだって魂は死にませんもん。
じゃあ顕在意識(&潜在意識)はどうか。
実はこっちも死にません。
ただ、肉体は死にます。
人の意識は肉体に宿るので、死んでしまうような気がするだけで、なくなりはしません。
でも肉体に宿る以上「肉体を維持して生きる」ことを目的とします。
この「肉体に宿る意識」は家系の中に輪廻すると言われています。
通常だいたい30年くらいのインターバルがあるそうです。
一方魂意識は地球上のどの人種にも転生します。
こちらは主に「感情の体験」を目的としています。
「肉体に宿る意識」と「魂意識」の合体したものが人の意識です。