占守島、2011 年
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土台です。Kokutan 岬約 171 丘の地域


臼砲隊が使用した特殊臼砲は当時の秘密兵器で、弾丸は口径33cm、長さ150cm、重量300kgで射距離は最大1,500m、破裂穴直径20m、半径約500mの円周内に破片が飛び散る、という大きな効果をあげられる砲でしたが、通常の砲身は無く、木製の発射台と鉄製の発射筒を組み立て、この中発射筒の中に発射薬を装填し、これに組み立てた砲弾の後尾部を被せて発射するという兵器で、隠密裏に手作業で発射準備ができるというものでした。國端岬付近に配置された臼砲隊は事前の準備が十分にできていましたので、この大口径弾をソ連軍の上陸時にその上陸地域の真ん中付近に弾着させました。ただ、発射準備に時間が掛かるのと、終戦詔勅で弾丸の格納を進めていたため、弾薬の準備ができず、1発だけの発射に止まりました。小泊岬付近に配置された臼砲隊も同様に1発発射しました。共に1発だけの発射でしたが口径32糎の威力は大きく、ソ連軍に心身共に大きな損害を与えたことは間違いありません。休戦後すぐにソ連軍がこの大口径の重砲を探しに来ましたが、大砲が無いので探しまわり、この発射台を見せてやっと納得したという話があります。国端崎の部隊は臼砲弾発射後、野砲隊と合流し、野砲弾薬の補給や小火器による陣地防備に従事し野砲部隊と共に最後まで戦いました。また、ソ連軍上陸を最初に発見したのは、この部隊から國端岬の監視所に監視要員として派遣した兵士でした。この兵士が國端岬の各守備隊を起し回ったので、各隊の戦闘が可能になったのでした。