ここは海凪のかわいいだけのためのアカウント、と思ってて触れたことはなかったのですが、10年ひと区切り…の空気感を痛感する最近。どんなに時間が経っても忘れられない、忘れることができない、忘れてほしくない、そんな思いがあふれてしまい今回アップします。(たぶんそのうち消します)



11年前のクリスマスの11時頃、主人は社用車で商談先に向かう途中亡くなりました。45歳でした。
大きなカーブを抜けてきた対向車のトレーラーが積荷の1枚800キロの鉄板30枚を荷崩れさせそのうち15枚が主人の乗っていた車に直撃しました。鉄板は運転席から左後部座席に向け、突き刺さるような形で直撃しました。主人は圧死の即死。
事故の連絡は12時半頃、勤務中に主人の後輩からありました。何も詳しいことはわからないまま、警察から搬送先が決まったら連絡すると言われ自宅で待機。その時点で分かっていたのは、主人は鉄板の下敷きになっていることと危険な状態だということ。 14時半頃搬送先が決まり、その病院へ私の運転で子供達と向かいました。この時点でも主人の死は知らされていませんでした。病院の救急の治療室にいたのは、心臓破裂、全身骨折、ガラスまみれ傷まみれ…数時間前「いってきます」と家を出た変わり果てた姿の主人でした。警察から犯罪被害者向けの雑誌やパンフレットを渡され、主人は何も悪くない過失はないことを知りました。

主人は後頭部や背中に大きな傷がありました。おそらく鉄板がせまりくることにきづき、体を翻してよけようとしたのだと思います。主人がこの世で最後に見たのは、迫り来る鉄板だったのかと思うと胸が苦しくなります。

しばらくの間は、きっと私や主人の生き方が悪かったからだ、と思っていました。そうでなければこんな出来事に遭遇するはずはないと。その後刑事裁判を通して、この事故が起きたのは、運転手が本来行うべき固縛作業を怠っていたこと、また運行管理者も(会社側)運転手のそのような業務姿勢を把握しながら野放しにしていたことが大きな原因でした。判決でも運転手の手抜き作業、会社の安全管理不足があったことが認められました。つまり、起きなくてもいい事故であり、防ぐことができた事故であり、交通犯罪でした。そしてようやく悪いのは当たり前のことを当たり前に行わなかった加害者だと思えるようになりました。

あれから11年、日々事件事故が起きる中、どうしても過去の事故は風化していきます。もう10年経ったから…という周りの空気も感じます。
でも、これだけは知ってほしい。
日常の中では、大きな感情の波もなく過ごせるようになり、笑うこともたくさんあります。
でもやはり私の中ではあの日の記憶は色褪せない。
鮮明なまま残っている。
私は今でも主人のことを思い出す時、その姿は救急治療室でストレッチャーに寝かされている主人なのです。19年一緒に過ごして笑顔も怒り顔も拗ねた顔も色んな顔をみてきたのに、1番に思い出すのは亡くなった日のあの姿。
きっと私が歳をとって色んなことを忘れていってもあの日のことあの姿は忘れない。
だからこんな思いは誰にもしてほしくない。
加害者にも被害者にもなってほしくない。
そのためにも風化はさせない。
しつこいと言われても、未練たらしいと言われても風化はさせない。
加害者がいなければ被害者はうまれません。
加害者になるかどうかの選択は、自分自身で行うことができます。
飲酒運転、ながら運転手、運転不適合な人(高齢者や体調不良や病気の人の運転)など、自分自身で運転しない、加害者にならない選択をしてください。

毎年、事故発生時刻に事故現場にお参りします。
11回目の命日の今日も事故現場へ。
今年は大好きなMiji華hanaさんに素敵なアレンジを作っていただきました。




父さん、11年経ちました。お空では海くんに会えましたか?父さんは海くんとは初対面だけど、きっと2人は気が合うと思うから、仲良くしてあげてね。
私はなんとかやってます。あの頃は明日生きていけるかもわからなくて、未来を生きる意味も分からなくて、すぐにそちらにいきたいと思っていたけど…
いまこうして11年過ごせてきたことに、自分で自分を褒めてあげたい、そして見守ってくれた周りの人達に心から感謝してます。
もうしばらくはこちらで頑張ります。いつか会える時にはたっぷりねぎらってもらいますから、その日まで…