サンキュー!ロックンロール!サンキュー!内田裕也 | YOU-DIE!!!オフィシャルブログ「BOOBEE」Powered by Ameba

サンキュー!ロックンロール!サンキュー!内田裕也

内田裕也ロックンロール葬


素晴らしい葬儀だった。


堺正章さん、崔洋一監督、鮎川誠さん、そして、本木雅弘さんが代読した横尾忠則さんの弔辞、芸能界、映画界、ロック界、アート界それぞれを代表する4名からの弔辞はどれも熱いメッセージで素晴らしかった。そして心のこもったAIさんの「アメイジング・グレイス」で会場は涙に溢れた。


芸能界を代表する堺正章さんにとっては、内田裕也さんは、良き部分と悪しき部分を兼ね備えた先輩、でもその悪しき部分にこそ裕也さんの魅力が詰まっていた、という。本当に怖い先輩だったけど、歳をとるにつれ、とてもジェントルマンで穏やかな人になっていったと。古希のパーティーでのアントニオ猪木さんのエピソードはじめ葬儀会場とは思えぬほど会場を爆笑の渦にしたのは流石の一言でした。


映画界からは、『十階のモスキート』や裕也さんの最期の出演作品になったドキュメント映画『転がる魂』を撮った崔洋一監督。裕也さんとの映画企画のエピソードを語り、裕也さんの出演作を読み上げた。


ロック界からは、『ニューイヤーロックフェスティバル』に毎年参戦している鮎川誠さんが、裕也さんはロックンロールそのもの、ロックンロールヒストリーそのものと言い、最後に会場中に響き渡る声で『ロックンロール!』と叫んだ。


芸術界からは、本木雅弘さんが代読した横尾忠則さんの弔辞が。裕也さんとの交流をチャーミングなエピソード交え紹介し、最後は「この世はつまらないので、永久パスをとって近々そちらに行きます」と粋な言葉で締めくくった。


そして、歌手AIの圧倒的歌声の『アメイジンググレース』に皆が涙した。


本当にみんなに心から愛された人だったんだな、触ると火傷しそうだし、実際火傷するし、時には憎まれたこともあるかも知れないけど、それは内田裕也という存在が嘘偽りのないありのままの個体だったからだ。


たまにその辺のクリエイター風情が『表現者』という肩書きを名乗り、それを聞くたびにむず痒くなり、そこまでアンタは本当に表現できてるのか?と突っ込みたくなる。裕也さんは自身のことを『表現者』などとは決して言わなかったが、裕也さんこそ『表現者』だったと思う。内田裕也という人間そのものが作品だ。ロックンローラーとして、人生を全うした最初の日本人、内田裕也。ロックンロールだけでなく、映画、CF、ファッションなどなど全ての表現から伝わってくるものは内田裕也の人間そのものだ。全くブレの無い同じ強烈なメッセージを感じる。ロックンロールを貫いた人生。Keep on ROCKを体現し全うした人。だからロック界だけでなく、芸能界、映画界あらゆるフィールドからあれだけの方々が集まったんだと思う。


みんな内田裕也のように生きたかったんだ。内田裕也のように夢を抱き、でもどこかで夢に敗れ、若しくは夢を誤魔化し、どこかで変速し、高速道路から降りて、安全な道を行き、時の経過と老いの狭間で人生と折り合いつけてきた。そんなに青臭くやってちゃ疲れてしょうがないもん。爺さんになってまでずっと社会に対して怒ってられないし…。だから皆、裕也さんのようなピュアな原石の塊のまま生き続けたモンスターを畏怖し羨んで止まないのだと思う。


サンキュー!ロックンロール!!

サンキュー!内田裕也!!


最後にあまりにもロックだった喪主、内田也哉子さんの弔辞を紹介したい。内田裕也の、そして、裕也さんよりもロックだったかも知れない樹木希林さんのDNAを受け継いだ也哉子さんがこの世に存在していることを心より感謝致します。


「私は正直、父をあまりよく知りません。わかり得ないという言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が、数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。


私の知りうる裕也は、いつ噴火するか分からない火山であり、それと同時に溶岩の間で物ともせずに咲いた野花のように、すがすがしく無垢(むく)な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。


けれども今日、この瞬間、目の前に広がるこの光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたおひとりおひとりが持つ父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には到底おさまりきれなかった内田裕也という人間が、叫び、交わり、かみつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を皆さんは確かに感じとっていた。これ以上、お前は何が知りたいんだ。きっと、父はそう言うでしょう。


そして自問します。私が父から教わったことは何だったのか。それは多分、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。これ以上、生きる上で何を望むんだ。そう聞こえています。


母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかったと申し訳なさそうにつぶやくことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、おりおりに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんなきれい事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。


もちろん人は生まれ持って誰のものではなく個人です。歴(れっき)とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑(ふ)に落ちません。けれども、真実は母がそのあり方を自由意思で選んでいたのです。そして父も、1人の女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。


2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼(しんきろう)のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなかおもしろいものです。


79年という長い間、父が本当にお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。


Fuckin' Yuya Uchida,


don't rest in peace


just Rock'nRoll』