裕也さんのいないニッポンはつまらない。 | YOU-DIE!!!オフィシャルブログ「BOOBEE」Powered by Ameba

裕也さんのいないニッポンはつまらない。



裕也さんのいないニッポンはつまらない。


昔は裕也さんのよーなオヤジが街にいっぱいいた。近所にもいて、間違ったことをやったら自分の子でもないのに頭から火が出るほど怒鳴ってくれたもんだ。俺のオヤジも裕也さんと同じように一本気で怒り出したら止まらない爆裂親父だった。


コンプライアンスを気にしたり、パワハラじゃないかなんてどうでも良いことを気にして聞き分けのいい大人を気取った退屈なオヤジばかりで全くつまらない世の中になったよ。


ややこしいオヤジがどんどんいなくなってホント寂しいよ。


ビートたけしのオールナイトニッポンでタケシさんが話す破茶滅茶な裕也さんエピソードが痛快で、毎週のように夜更かしをして喜納昌吉のエンディングテーマまで聴いてから寝ていた。特に覚えているのが料亭かどっかで会食してたらトイレから帰ってきた裕也さんの拳が血だらけになってて、「どーしたんですか!?裕也さん!?」と慌てて尋ねたら、


「鏡の中の俺がオレを笑ってたんだ!」


って話。ホントかどーだか知らないけどサイコーだ。


裕也ファミリー、怖い軍団、などのダークなイメージが先行してたが、そんな中で、表現者、アジテイターとしての裕也さんをハッキリと認識したのは、マンハッタンの街並みをバックにハドソン川をスーツのままの裕也さんが泳ぐPARCOのCF。あれは強烈に印象に残ってる。本当にカッコよかった。


「昨日は何時間生きてましたか?」


というキャッチコピーに当時ダラダラと日々を無為無策に生きていた俺はハッとさせられた。いつも裕也さんのメッセージはカミソリのように鋭い。回りくどい事は一切言わないし核心しか言わない。


学生時代に企画・脚本・主演内田裕也の『魚からダイオキシン』という映画で、10年後のロックンローラー達が産業ロックに成り下がった時代を憂い


「Get Back!

Get Back!

Get Back to pure ROCK’N’ROLL!」


とシュプレヒコールし、仁王立ちする裕也さんの脇を通り過ぎるというイメージシーンでエキストラ出演させてもらったことがあった。撮影中に監督の宇崎竜童さんに裕也さんを紹介してもらい、初めて挨拶した。挨拶した、というか当時は小僧だったので緊張のあまり多分2cmくらい会釈しただけだと思う。雨がザーザー降っていてヒゲモジャのお付きの方はずぶ濡れで裕也さんが濡れないように傘をさしていた。なぜかその二人が任侠っぽくてカッコいいな、と思った。撮影場所は廃墟の工場。裕也さんの楽屋はその昔現場の詰所だったと思われるプレハブ。そのプレハブからはストーンズのジャンピン・ジャック、フラッシュが永遠に無限ループで鳴り響く。気分を高める為とは言え、爆音でジャンピン・ジャック・フラッシュを繰り返し聴いてたら途中で飽きそうだけど、本番の時に出てきた裕也さんは気合いビンビンでシュプレヒコールシーンも一発オッケーだった。


「棄権するならロックによろしく」


都知事選のイカしたキャッチコピー。全編英語で通した政見放送もサイコーだったが、あのキャッチコピーがあまりに秀逸過ぎて、それ以来勝手に拝借し、なにかあれば名前の前に「ロックにヨロシク!」と書いていた。大学の学生証も裕也さんの顔真似をしてたので、試験の時には試験官に必ず二度見された。ベルウッドレコードからリリースした自分達のバンド『万力』のアルバムタイトルも


『ロックにヨ★ロ★シ★ク!」


その後、2008年の恵比寿ガーデンホールで行われたシナロケ30周年に裕也さんがゲスト出演した時に特番収録させていただいたこともあった。『ジョニーBグッド』や『ルート66』を歌いながら飛び跳ねる裕也さんは最高にカッコよかった。


ル・バロンでの裕也さんの70歳のバースデーパーティーは、70歳の裕也さんと60歳の大貫憲章さん、50歳の高木完さん、40歳のZEEBRAがDJを務めるという豪華な夜だった。極め付けは裕也さんのライブパフォーマンス、DJバックに顎にピースサインのお決まりのポーズでエルビスの『A Big Hunk o' Love』を歌いながらマイクパフォーマンスをする裕也さんはとてもシャープでキレキレだった。楽屋にシャンパンを差し入れに持って行ったら「おう!フジテレビから差し入れだよ!」と言い、控室にたまたま居合わせた人も含め全員に裕也さん自らシャンパンを振る舞った。最後にご自分のグラスに注いだ時にはほとんどシャンパンはなかった。差し入れのシャンパンはやはりマグナムじゃないとな、と強く反省した。


2011年の年末には当時プロデュースしてた『BAZOOKA!!!』という番組に裕也さんに生出演してもらった。MCは小籔千豊と眞木蔵人。トーク中、生放送の為、仕切りよく段取り、次のトークに話を移そうとする小籔さんに対して、「待てよ!まだ話してんじゃねえか?!今の話終わってねえよ。大事なとこなんだよ。おい!どーなってんだよ、プロデューサー呼べよ!」というヒヤッとするシーンもあった。裕也さんの後ろで見守っていたので、生放送中だろうがいつでも出て行くつもりだったが小籔さんが上手に諌めてくれた。裕也さんのロックンロールなヒストリーを時代を追って聞けた貴重な夜になった。楽屋でもまだ話は続き、特別扱いで看守に案内された独房の部屋番がナント『69』だった、など素敵なエピソードをいろいろ披露してくれた。


2012年には内田裕也さんはじめ日本を代表するミュージシャンが自分のロックストーリーを独白し、エルビスからレディオヘッドまで語り尽くすフジテレビ三夜連続企画『ROCK STORIES』でインタビューさせてもらった。収録現場で真紅の摩天楼のような照明を完璧に作り込み、あとはご本人の入りを待つだけ。エントランスで待機していたら裕也さんを乗せたワゴンカー到着、雨が降っていたので傘をさし、車から降りる時、裕也さんが少しよろめいた感じがしたので手を差し伸べたら物凄い斬れ味の眼光で、キッ!と睨まれた。取り敢えず裕也さんに傘だけさし会場に入る。『魚からダイオキシン』の撮影現場でのヒゲモジャのお付きの人とのシーンを思い出した。クラブでの撮影だったため、別部屋には夜のパーティーのセッティングをするイベントスタッフが…。当然、うちの撮影クルーでもないのでバタバタと動き回り会場入りした裕也さんの横を無言で走り抜ける。撮影場所にお連れしたらカメラマンもアシスタントもバタバタとスタンバイして裕也さんに気付かず作業を続けていた。俺もいつもみたいに「裕也さん入りまーす!」と大声でやれば良かったのだが、ほかのイベントスタッフもいるし、うちのスタジオでもないので少し遠慮してたのかな、「では、宜しくお願いします。裕也さん、こちらにお座り下さい」とインタビューを受けるカメラ前の椅子に促した瞬間、怒った怒った!カンカンに怒った!「桑名の葬儀で大阪行ってクタクタに疲れてるところに、お前達がロックの歴史を聞きたいって言うからわざわざ予定繰り上げて帰京し、現場に駆けつけたら入り口のスタッフも挨拶もねえし、おいカメラマン!テメエなんで俺が入ってきてんのに挨拶しねえんだよ!?お前一体どういう教育してんだよ」とカツンカツンに怒られた。「帰るよ!」と言い出し、万事休すかと思ったが、こちらの無礼を詫び、トークの椅子にやっと座ってもらった。そしたら今度は「こっち側の目が悪いから撮影はこっち側からしてくれ」と。そちらサイドは実はアップバックの灯りしか作ってなく、メインはクラブのバーカンバックのダイヤモンドカットのミラーの真紅の摩天楼だった。いろいろ説明すると、「ちょっとモニター見せろよ」と裕也さん。モニターを見せると、「いい色だねぇ、カッコイイね〜、これ君作ったの?キャメラマン!イイ腕してんじゃん!」とご機嫌になり、トーク収録に入った。トークではミックにグァムでの衛星中継コンサート企画を持ちかけた話やジョン・レノンのダコタハウスに行って夜中の三時まで飲み歩きヨーコさんに嫌な顔された話など世界のトップスターと対等に渡り合った貴重なストーリーを聞かせてくれた。


2019年、『Exhibitionismザ・ローリング・ストーンズ展』来日。3月15日の開幕の前日3月14日のレッドカーペットにもお声かけしたが「当日の体調次第かな」ということで、諦めてはいたが、その日のオープニングまで裕也さんが来てくれるかもしれないと一人興奮していた。結局、裕也さんは来れなかった。


『ROCK STORIES』という番組で話した裕也さんのミックとのエピソードなどの貴重なストーリーをまとめ、ストーンズ展会場のカフェバー『レッドシューズ』の120インチモニターで流していたので、来場したアーティストやお客さんも皆それを見ていた。連日ループで流れる裕也さんの映像、大画面で流される裕也さんの映像はなんだかストーンズ展の象徴でもあり、門番のような感じを受けた。何十回もループ映像を観て脳裏にその姿が焼き付いていた3月17日、裕也さんは天に旅立った。


天国で希林さんとスイートな時を過ごしながら、ジョーさんや力也さんや桑名さんと悪さして、たまにはムッシュと昔話に花を咲かせたり、エルビスにちょっかい出したりしてるのかも知れない。


いつも会う仕事仲間でもましてや友達でもないし、脳裏に裕也さんの映像は焼き付いているので自分の中では裕也さんは生きてるし、まるで実感がない。


裕也さんがロックンロールを通して伝えたかったこと、やろうとしたこと、貫いたこと、Keep onしたこと、自分なりに噛み砕いて理解して継承していきたい。同じようなやり方はできないけれど、自分なりのやり方で


ロックンロール!と叫び続けたい。


裕也さん、安らかにお眠り下さい。


合掌