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ウルフがドクロになった日〜I LOVE BILLY!STAY FREE!!〜

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ウルフがドクロになった日~I LOVE BILLY!STAY FREE!!~

2005年3月31日朝7時、
携帯の着信、
ギターウルフのマネージャー、ハッチャクからの電話だった。

携帯には「ハッチャク」の名前が・・・、なんか・・・イヤな予感がした・・・。
ロックンロールに朝は似合わない。
「こんな時間になんだろう?酔っ払ったセイジから呼び出しか?でももしそうなら自分でかけてくるだろう」。なんとも言われぬ不安感に苛まれ、携帯をとった。
「もしもし・・・」

「ビリーさんが・・・、ビリーさんが・・・、死にました・・・。」

ビリーが死んだ・・・?何言ってんだ?エイプリルフールなら一日早いぜ。押し殺した嗚咽が聞こえる。泣きじゃくるハッチャクの声にその最悪なフレーズが事実だと知らされた。
何て言えばいいかわからない。映画だとどうするこんなとき・・・?叫ぶのか?大声で泣くのか?何も声が出ない。全然リアリティがない。

そして2年の月日が経った今でもリアリティはない。

初めてギターウルフを観たのは1990年初頭の高円寺20000V。バイク急便仲間の友達がライブやるっていうんで相棒のトミーと応援に行った。奴等はメンバー全員上半身裸で刺青を見せながら客にメンチきって演奏していた。ただの刺青ショー以上でも以下でもない彼らのショウに嫌気がさし、「くだらねえ!帰ろうぜ」とトミーとライブハウスを出ると、ラインナップが書かれた黒板の中に一際目立つ名前が目に飛び込んできた。「ギターウルフ」!?思わず笑ってしまった。トミーに言った。「ズルクねえか?このバンド名、ギターウルフだってよ、観てかない?」。その頃の俺らといったら毎日特に予定もなく、もちろん金もない、酒瓶片手に街をウロウロ。職質はほぼ日課。刺激さえあればそれで良かった。とにかく暇をもてあましてたんだ。俺らはライブハウスに戻った。客は俺らのほかに二、三人くらいしかいない。地べたに座ってビールを飲みながらギターウルフのステージを待った。「客少ねえ。帰ったほうがよかったかもな」、そう思った瞬間、VANSONの革ヂャンを来たチーマー風な連中が二十人くらいドカドカと入ってきた。なんだなんだ?カチコミか?奴等は最前列で仁王立ちしている。待つこと数分、ギターウルフとやらが出て来た。ギターはミラーのタレサンに革ヂャン、リンク・レイで有名なビザールギター、ダンエレクトロ・ロングホーンをマシンガンのように構えている。まさに狼のような髪型をして大股開きで、リンクレイ風な曲に、良く聞き取れなかったけど、宇宙がどうした、とか途方もない大きなテーマの歌詞を歌ってた。ギターはビックリするほど下手だった。「アオ~ッ!!!」とか叫んで本当に狼のようだった。チーマー風なベースは長髪にアロハ、トラッカーキャップをかぶってた。とにかくイカシてて、ガムをクチャクチャやりながら唇ひん曲げて客に見栄を切っていた。VANSONの連中に唾を吐いたり蹴っ飛ばしたりなんか無茶苦茶なヤツだ。こいつチンピラだな。Born to be CHINPIRA。職業がチンピラとかじゃなくて存在がチンピラ。ド不良。ドラムはボーリングシャツにリーゼント、親の仇のようにドラムを叩いていた。後で知ったけどスネアの革に「気合」と書いてた。バカだ。なんなんだこいつら?演奏はとにかく滅茶苦茶だった。ド下手。歌詞も聴き取れない。でも最高にイカしてる。初期衝動以外何もない体当たりのステージ、俺は沸々と興奮してきた。これでいいんだ?バンドってこれでいいんじゃん!?今までに見たことのない野蛮でクールなライブを観て「トミー!俺らもこんなバンドやろうぜ!」と興奮して言ってたのを思い出す。早速当時やってたロカビリーバンドをその日に辞めて、俺達は万力というガレージインストバンドを組んだ。その日は一日ハンマーで頭を殴られたような感じで頭の中がずっとハウリングしてた。

キーンキーン。眠れないぜ!

それからしばらく経って再びギターウルフの名前を発見した。場所は恵比寿に新しくできたロッククラブみるく。「とにかくスゲエから観に行こうぜ」、万力のギタリストKを誘って繰り出した。セイジはライブ前から酒を浴びるように流し込みステージにのぼるときには完全に泥酔していた。「酒くれよ」ステージにあがるなりセイジはマイクに向かってそう言った。なかなか酒は出てこない。ギターのチューニングが目茶目茶だ。セイジは「チューニングできねえからオマエやってくれ」と言って最前の客にギターを渡した。みるくのブッキングマネージャーるりさんはおもしろがってハブ酒の瓶をセイジに渡した。セイジはその瓶を見てニヤッと笑うとおもむろにラッパ飲みし始めた。「ウソだろ?」ビンの中のハブ酒がみるみるうちになくなっていく。「マジかよ?」そんなことやったって偉くないって・・・。結局セイジはハブ酒をまるごと一本一気飲みしてしまった。そして、ビンの中からハブを引っ張り出してハブでヌンチャクしながら踊り始めた。ブルース・リーになりきってる。狂ってる、こいつら本気で狂ってる。オーディエンスもそれを見て狂い始めた。フロアはグチャグチャ、演奏の方は最高にひどかった。でも最高のパフォーマンス。何をやってるかまるでわからない。「サティスファクション」のカバーをやってたけど曲のラストでやっと「サティスファクション」だということがわかった。あんな印象的な曲なのに・・・。それくらいヒドイ演奏。

セックスピストルズの方が100倍マシだ。

それからDADDY-O-NOVの最高のロッキンパーティー「BACK FROM THE GRAVE」やガレージ系のイベントに遊びに行くようになり、打上げでメンバーとも話すようになった。その頃からセイジは「俺たち絶対ビッグになる」と言ってた。「オレたち、世界で有名なバンドになるから見ててくれ」と言ってた。聞きながら俺にはなんか遠い話でリアリティなかったけど、ギターウルフは常にそこを見据えてこれまでやってきたんだろう。

ウソがホントになっちまった。

その後オレはテレビの仕事を始めた。ファックなお茶の間歌謡ショーをやりながらもTV WOLFとしていつの日かギターウルフをテレビに出したいと思っていた。ギターウルフとテレビで付き合うなんてできっこないって思ってたし、テレビに出ることが彼らにとっていいことなのかどうかは正直わからなかった。だけどテレビでみんなに見せたかった。俺が感じたことをそのままブチ込んでブラウン管の向こうのキッズ達に感じてほしかった。絶対に伝わると思ったし・・・。新宿アンチノックに下北シェルター、福生レッドバード、ギターウルフのライブがあれば観にいきカメラを回した。チャンスはほどなくやってきた。当時水曜日深夜に放送していた小室哲哉がMCの音楽トーク番組「TK MUSIC CLAMP」に出演してもらうことになった。セイジに曲の相談をしたら「スゲエ名曲ができたんだよ。『ミサイルミー』というタイトルなんだけどテレビではそれを演奏したい」。サウンドチェックのときビリーは言った。「なんかテレビって音がキレイで分離してるよ、なんか裸にされてるみてえでやりにくいよねぇ~?」それはある意味テレビの本質を突いてる。ワイルドに野生で生きてきた狼たちはときに本質を見抜く。テレビ初出演、トークが最高だった。「ロックンロールにとって一番大事なものってなんなんですか?」という問いにセイジは「やっぱジャンプじゃねえかな?あと・・首のシェイキン・・・、ジャンプしないバンドとかあんま好きじゃないし」。これもまたロックンロールの核心だ。「ギターウルフさんは『環七フィーバー』、やっぱバイクですよね?」という質問にセイジは「もちろん」、トオルは「俺はチャリっす」、ビリーはガムをクチャクチャ噛みながら「俺は歩きっすね?」ビリーが全ての笑いを持っていった。「HEY!HEY!HEY!」に出演したときもダウンタウンのギャグにビリーが吹き出し口の中から噛んでたガムが飛び出た。ダウンタウンの二人から「何してくれてんねん?テレビやでこれ?」と突っ込まれたビリーは平然と床に落ちたガムを拾って口に入れ、爆笑する浜ちゃんを見て睨みながらクチャクチャやった。そのときも全ての笑いを持っていった。ビリーは天才だ。ビリーはいつも自由で嫌味がなくてカッコイイ。キューンソニーの社長の道彦さんが言ってた、「ビリーって唾吐いたり物捨てたりするじゃん、めっちゃ行儀悪いじゃん?でも一緒にいて一度もイヤな気したことないんだよね?なんでかな?って考えたんだけど、似合ってんのよ、それが自然と言うか・・・、要するに似合ってりゃ全然OKで、似合ってないヤツが唾吐いたりするからイヤな気するんだ、ってビリー見てて思った」って言ってた。スゴイ納得。あんな板に付いた不良いないもん、で、寅さんみたいに風来坊で自由でみんなに愛されてて、悪戯好きでさ、落ち込んでる人とか、一人ぽっちの人とか見ると悪戯して笑わせて、実はみんなにスゴク気を遣ってて、俺も何度ビリーさんのギャグに救われたかわかんない。「元気出せよ」って感じで浣腸とかしてくるしさ、万国共通ってか子供のまんまなんだよね、ビリーさんのギャグって。びっくりするほど頭の回転が速くて、俺なんかビリーさんのスピードトークには全然ついてけないし、あまりに展開が速すぎてジョークが理解できないことが度々あった。

1998年、「FACTORY」というライブ番組が始まった。

第一週目のラインナップはギターウルフ、ブッダブランド、スーパーカー。自分が始めてディレクターとして番を張る番組、その1週目は絶対ギターウルフでいきたかった。ギターウルフがステージに立った瞬間鳥肌が立ち、武者震いした。ステージにのぼった三匹の狼、既にテンション・フルスロットル、足場を確認し腰を落としてギターをかき鳴らすセイジ、ベースのブリブリ具合をチェックするビリー、リーゼントを櫛で撫で付けるトオル、三人がそこにいるだけでもうそこは誰も立ち入れない奴らだけの空間になる。客が前列に押し寄せひしめき合う。雄叫びをあげる観衆。熱気、熱気。熱気。炸裂だ!出てきただけでこの状態。奴らが放つ存在の説得力、人間力は凄まじいものがある。突然セイジがマイクで叫ぶ!「何でラモーンズかかんねぇんだよ!」これが今や長寿番組になった「FACTORY」の記念すべき第一声だった。「何でラモーンズかかんねぇんだよ!」今思えば最高のフレーズだけどあの瞬間は場が凍りついた。当時のウルフは今の100倍くらい怖かった。予めセイジがステージに上がったらラモーンズかけてくれ!と言ってたのにもかかわらず、手違いで音が出なかった。ロックに手違いはあり得ない。セイジが再び叫ぶ!「ラモーンズかけろっつってんだろ!」その声を合図にようやく、フロア全体にラモーンズが鳴る!やっと、フロアに血が通ったぜ!そう、ラモーンズが大事なんだ!ロックには。しばらくラモーンズが鳴ったあと、セイジが右手を掲げる。合図だ!もう手違いはありえない!ずっと、やってきたんだ、奴らは、このスタイルで・・・、「仁義なき戦いのテーマ」がフロア中に鳴り響く。ハイネケンをビンごと一気に飲み干すセイジ、客を睨み付けるビリー、リーゼントを整えるトオル、興奮だ!飲み干したビンをフロアに投げつけるセイジ、客のテンションもフルスロットル。セイジが叫ぶ!「お台場べいべ~!」「カミナリワン~!」間髪入れずビリーが「1,2,3,4」の掛け声、ライブが始まる。客が渦となる。そのあと「オールナイトでぶっとばせ」「ティーンネイジUFO」「ミサイルミー」「ワイルドゼロ」そしてリンク・レイのカバーで「RUMBLE」の全6曲をプレイ!二人のティンネイジャーがダイブを決めた!テレビの収録でダイブを見たのは初めてだ。しかもそのうちの一人はスーパーカーのメンバーだった。放送ではセイジが「ワイルドゼロ」を歌い終わった後、マイクスタンドを蹴っ飛ばし、その直後にビリーがカメラを蹴っ飛ばし、カメラがグラグラになったとこに「FUJI TELEVISION NETWORK INC.」の制作著作テロップが・・・・・・凄まじいカットだった。マジで震えがきた。ディレクターとして剥き出しの現実を映し出すあんな衝撃的なカットが撮れたことに心から感謝している。美しかった。奴らのステージを見る度に力が湧く。オレはひとつも間違ってなかった。といつも思う。自分がロックを大好きになった初期衝動がそこにはいつもある。ギターウルフはいつも負けない。客にも、対バンにも、レコード会社にも、テレビ局にも。

それは奴らのステージが嘘をついてないから。

その後、「FACTORY」を始めとし、「ロッケンロー・サミット」「BLACK LIST」そして、「HEY!HEY!HEY!」と多くの場でギターウルフとテレビを舞台に遊んだ。中でも一番想い出深いのはアメリカツアーに同行したこと。1999年6月17日。二週間ほど休みがとれた。たまたま同じ日からギターウルフのアメリカツアーがスタートすることを知った俺はセイジに電話し、「アメリカツアーに同行してギターウルフのドキュメントムービー作りたいんだ、ツアーバスを降りたエンジニアブーツの足元がファーストカット、アメリカの大地を踏んだ瞬間にタイトルを入れて・・・」俺の熱弁を遮って「オッケー!一人くらいバスに乗れっから来なよ。じゃあコロンバスのライブハウスに夜の8時」。俺の前のめりなプレゼンとは真逆な、まるで下北シェルターに8時集合ってくらいの気軽さ、ウルフにとってアメリカはいち地方都市みたいなもんなんだろう。コロンバスに着くと既にみんなはスタンバイOKでビールを飲んでた。当たり前だけど「本当にいた」と思ってしまった。ツアーマネージャーのSteveを紹介された。なんと彼はニューヨークガレージパンクシーンの重鎮The Devil DogsのSteve Blaiseだった。あのスティーブが今目の前にいる。身構えてる俺に「Do you like KYONYU?Do you have DEKA-MARA~!?」ヤツの仕業に違いない。ビリーに仕込まれたジャパニーズ・スラングでボケまくるスティーブ。横でビリーがケタケタ笑ってる。全くどこに行ってもこの人は・・・。コロンバス、クリーブランド、シカゴ・・・どの街でもオーディエンスの熱狂ぶりは日本のそれを軽く越えていた。


みんなの夢がそこに実現していた。

宿泊は安モーテル、セイジとトオルが一部屋、ビリーとスティーブが一部屋、俺はセイジとトオルのベッドの間に寝ることになった。セイジとトオルがベッドの上で寝袋で寝て、俺は二人の掛け布団を借りてベッドとベッドの間で寝させてもらった。セイジはモーテルでもずっとビールを飲んでいる。何より驚いたのはセイジが寝るときもグラサンをはずさなかったことだ。ウルトラマンか君は?よくわかんないけどそう思った。朝起きるとビリーが出発の支度をしている。モーテルでクーラーボックスに氷を入れて、車に積み込みいざ出発。ガソリンスタンドでビール買ってクーラーに入れ、ガソリンを入れてる間に洗車しモップで窓をピカピカに磨く。段取りはビリーの仕事だ。なんでもてきぱきとこなす。几帳面な性格なんだ実は。ツアーバスではビリーは助手席に座りいつもジョークを飛ばしてみんなを笑わせている。セイジは3列目でいつも寝てる。グラサンかけたまま。毎日7~8時間の移動の間中ずっと寝てる。グラサン外さず。トオルは2列目でハイウェイの外側の景色を見ながらたまにビリーとスティーブの話にちゃちゃを入れたりカーステから流れるロックンロールのビートに合わせて膝を叩いたり破れたスネアの革を張り替えたりしている。ライブハウスに到着したらまずは物販スペースを確保しベースを作る。バーカウンターでピックに滑り止め用のガムテープを巻くビリー。そうすると汗で滑らないらしい。スタンバイができたらトオルと二人でビリヤード。ハスラービリー!不良はやっぱなにやっても上手い。正直アメリカでこれほどまでに人気があるとは思わなかった。「俺たち人気モンなんだぜ」ってセイジが言ってたのを思い出す。どの街に行ってもウルフがトリだった。トリの出番は深夜1時くらい。客のほとんどはウルフ目当て、待ちに待ったウルフのステージに狂喜乱舞する。ダイブモッシュするヤツ、ビールを撒き散らすヤツ、終演後は物販コーナーに殺到しレコードやTシャツを買いまくる。一緒に写真を撮ってもらいサインをせがむキッズ、セットリストを奪い合うオーディエンス、夜のお供をしようとキスをせがむビッチ、アメリカで生まれたロックンロールにガツンとやられバンドを組んだ極東の島国からやってきた三匹の狼がアメリカのキッズを熱狂させている。日本のレコード会社やメジャーアーティストが長年想い描き目指したこの光景はギターウルフにとってはただの日常だ。毎日街から街へ・・・それが下北でもシカゴでも奴等には大差ない。ウルフと一緒にいるだけで「おまえウルフのファミリーか?」と一目置かれる。みんなが気を遣ってくれる。ウルフは世界中の街でライブをしながら日本代表として、メガネをかけて首からカメラを下げたダサイステレオタイプな日本人像を次から次へと街から街へ移動し塗り替えていた。日本人はみんなギターウルフに感謝しなければいけない。アンコールでは必ずキャロルの「ヘイ!タクシー」を演る。「おまえらの国にはスーパーグレイトなエルビスがいるけど俺達の国にも最高なロックンロールバンドがいるんだ。教えてやるよ。日本が世界に誇るロックンロールバンドの曲をやるぜ!キャロ~ル!!ヘイタクシ~!」。このMCには毎回やられる。自分も日本代表になった気がして奇声をあげながら最前列でカメラを回した。日本語でMCやってるから客はなんのことか多分わかってないだろうけど・・・。ライブが終わるとセイジはビルの裏のダンボールを枕に死んだようにぐったりしている。トオルは水を飲み息を整えてる。ビリーはタオルで汗をキレイに拭いて、着替えて、クシで髪を整え、セイジがぐったりしてる間にマイクスタンドや物販の荷物をワゴンに積み込みしてる。「セイジは手伝わないの?」と聞くと「大将はフロントで一番疲れてるから次のライブの為に休んでてもらったほうがいいんだよ」。この男三人の関係には毎度涙させられた。ビリーはいつもテキパキしてて、スゴク几帳面で、頭が良くておもしろい話をいっぱい聞かせてくれた。スリルが大好きで税関や国境でもギャグをかまして仲良くなってしまう。ありえそうにない話もビリーが言うと本当っぽく聞こえる。真剣に聞いてると「雄大、何信じてんの?ギャハハ」とかって騙されたりしたけど・・・。誰とでもフランクに話すから英語も一番上手かった。アメリカ人もジョークで笑わせてるし。イギリス人のギャグは暗くて笑えないって言ってたな。そう言えば、1年目のライジングサンのときなんかも「AA」パスしか持ってなくて楽屋村に入れない俺を見て、ゲートの黒人セキュリティと何やら話し始めて、散々ジョ-クで笑わせ一服させた後、「雄大カモン」って言うから近付くと、「マイフレンド」とかウインクしながら言って、セキュリティもウインクで返して、その後、どこからか「AAA」パスをゲットして俺にくれた。ビリーの吐く一言一言が台詞みたいだし、

一緒にいると全てがカッコよくて映画のワンシーンみたいで常にスリル満点で痛快だった。

4月5日通夜、そして6日の告別式、

卑怯かもしれないけど、結局亡骸は見なかった。見ると過去のことが消えちゃうような気がして・・・。ビリーさんのカッコイイ姿や楽しい思い出をそのまんまにしておきたくて・・・。でも「ビビッた雄大?また信じちゃったの!?今回の手がこんでたでしょ?」ってどこかから出てきそうな気が今でもしてる。俺の中では確実にビリーは生きてるよ。だって死んだの見てねえもん。キューンソニーの道彦さんが告別式の後の偲ぶ会のとき、「ビリーはギターウルフやってたからここまで生きたんだと思うよ、俺たちさあ、これからどんな頑張ったってさあ、死んだとき、朝日新聞に顔写真載らないよ。ビリーはさ、親孝行したよ。本当に」って言ってた。マジでそう思う。館林のチンピラがロックンロールをやって世界で一番の不良になった。アメリカでもどこでもビリー以上の不良はいなかった。世界的な不良、ビリー。生き様全てがロックンロールだった男、人の人生長けりゃいいってもんじゃない。

ビリーさん、ありがとう!
きっと天国でエルビスやシドやジョニサンからかったり笑かしたりしてんだろうね、今頃。俺はまだ行かないけどそのうち行くと思うからヨロシクね。元気でね。大好きなビリーさん。

R.I.P. BILLY!

2005年8月Zepp Tokyoで追悼ライブをやった。「ロッケンロー★サミット~We Love Billy! Stay Free~」。ビリーの弔いだ。渋谷の彫師ファミリー、原宿時代の不良仲間、関東一円からビリーを偲ぶ不良たちが集まった。5,6,7,8’s、セドリックス、MAD3を始めとする仲間達がライブをやった。当初ギターウルフは出演する予定じゃなかった。だけど数ヶ月に渡って口説き続けたら、本番1週間前にセイジから電話がきた。「雄大がしつこいから出るよ!ただし!二曲だけ。やるからには本気でかますからヨロシク!」トオルと二人で二曲やってくれることになった。まだギターウルフがこの後解散するのか新しいベースを入れて続けるのかさえみんなわからないときだった。ライブ当日、入口には告別式のときに飾ってたビリーの写真パネル3点とビリーの愛器フェンダーをガラスケースに入れて飾った。ステージ後方にはリーゼントドクロ、ビリーが睨みをきかせてる。ギターウルフの出番の前、ビリーの盟友渋谷の彫師岸さんが言ってきた。「あの野郎もステージ立たせてえんだよ、わかんだろ雄大?オメエもそう思うだろ?」正直俺もそう思った。セイジに相談してみた。「表のビリーさんのベースが入ったガラスケースをビリーさんの立ち位置に置きたいと思うんだけどどうかな?」セイジにそう問うとセイジは俯いて5,6秒止まった。おもむろに顔をあげて、「雄大!これは新生ギターウルフの一回目のステージなんだ。振り返ることはできないんだ。ギターウルフは進むしかないんだ!」。俺は黙って頷いた。5,6,7,8’sが終わりいよいよギターウルフの登場だ。オーディエンスはギターウルフが出ることは知らない。まずトオルが出て行く。客は呆気にとられている。ドラムを叩き始めるとセイジの登場だ。やっと歓声が沸いた。曲が始まった。鬼気迫る迫力、ビリーがここにいる・・・。俺はそう思った。岸さんと仲間たちがビリーのベースのガラスケースをステージに運んできた。ビリーの立ち位置にセッティングされた。間奏のときセイジはそのガラスケースを倒し粉々にした。それぞれのやり方、それぞれのケジメの付け方がそこにはあった。仲間達の想いとオーディエンスの想いは当たり前だけど距離があり過ぎた。最初はのっていた客も次第におとなしくなっていく。というより二匹の狼の気迫に完璧に圧倒されてた。それくらい重苦しいステージだった。袖や2階のキャットウォークで見てた仲間達の想いとフロアの想いが違いすぎた。なんかだんだん腹がたってきた。オマエラ負けてんじぇねえ!ギターウルフがどんな気持ちで今日やってるか考えろよ、負けてんじゃねえ!気付くと袖で彼らを見守っていた俺はステージ最前に歩み寄り客にビールを撒き散らした。「負けてんじゃねえ!!」、それに触発されるように数人の男がダイブを始めた。でも結局客は最後まで唖然とした表情でステージを見守るだけだった。打上げでも客がだらしなかったよなって話をした。雄大よくやったよ。なんて言われながら結構いい気になってた。家に帰ってサミットのHPを見たら荒れまくってた。俺の行為をバッシングされた。物凄く悲しくなった、俺の思うロックンロールと彼らの思うロックンロールにここまで隔たりがあるとは・・・。数日落ち込んだ。主催者として詫びの文章をホームページに掲載した。個人の想いとは違ったけど、嫌な思いをした客がいたということは本当に詫びなきゃならないと思った。翌週のギターウルフのホームページの名物コーナー「Seiji’s Vice」を開いて泣いちゃった。セイジの最新の声は以下の通りだった。「まあいろいろあるけど・・・お行儀よく聞くのがロックじゃねえんだ。ロックは元々不良の音楽なんだ。何があろうとロックンロールなんだ。何が起こるかわかんねえんだ。甘ったれんじゃねえ。バイバイ。」泣いた泣いた。何度も何度も聞いて泣いた。そして笑った。泣き笑い。本気でやったことを否定されたときほど落ち込むことはない。でも張本人が理解してくれた。

セイジに心から感謝している。

キューンソニーのメールマガジンにもコメントをしてくれてた。
『先週土曜日に行われたR&Rサミットは、ホントに素晴らしかった。今年で5年目のこのフェスは、フジテレビが自ら企画してお台場の「冒険王」という超メジャーな場所にカッコイイインディーのバンドを集結させてくれる。これもR&Rを愛するパワーを持った男がたった1人あのフジテレビに存在しているから実現してるってことだ。そいつは今ディレクターをやっていて俺達の昔からの友人でもある。ギターウルフは、いろんな所でライブしてるが、よく感じるのがパワーを持っている場所にいるたった1人の人間の存在だ。たった1人の人間が「よしやろうぜ」って気合いを入れた瞬間にその回りが突き動かされてその地域にものすごいパワーが生まれる現象をよくみている。多分これは、一つの会社や店、学校や全てに通じることだろう。俺達ギターウルフの存在で、この日本が強烈なR&Rパワーをもつ国だってことをぶっとばしてみせつけてやりたいのさ。』

ギターウルフとテレビで仕事ができる日が来るなんてあの当時は夢にも思わなかった。でもギターウルフはあの時から何も変わってない。ただ大好きなロッケンロールをやってるだけ。いろんなバンドが生まれ、そして終わっていった。ただウルフはずっとここにいる。あいつらがロックし続ける限り、オレはずっとヤツラを応援する。ウルフのステージを観るとパワーが出るんだ。身体の奥底からどうしようもないアドレナリンが湧き出るんだ。とてつもなくパワーが出る。俺も負けてらんねえ。ウルフに負けるか!俺もガンバル!ヤツラが頑張ってるから俺も頑張る。いつもそう思わしてくれる。最初の気持ちを思い出させてくれる。なんで俺がロックをやりたかったか?なんで俺がロックを伝えたいと思ったか?それを思い出させてくれるんだ。

Keep on Rockin'!!! wolves
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