心に効く!映画のご紹介

 

映画タイトル「柘榴坂の仇討」

 

映画のあらすじ

安政七年(1860年)。彦根藩士・志村金吾(中井貴一)は、時の大老・井伊直弼(中村吉右衛門)に仕えていたが、雪の降る桜田門外で水戸浪士たちに襲われ、眼の前で主君を失ってしまう。両親は自害し、妻セツ(広末涼子)は酌婦に身をやつすも、金吾は切腹も許されず、仇を追い続ける。時は移り、彦根藩もすでに無い13年後の明治六年(1873年)、ついに金吾は最後の仇・佐橋十兵衛(阿部寛)を探し出す。しかし皮肉にもその日、新政府は「仇討禁止令」を布告していた。「直吉」と名を変えた十兵衛が引く人力車は、金吾を乗せ柘榴坂に向かう。そして運命の二人は13年の時を越え、ついに刀を交えるが……。 

松竹株式会社公式サイトより引用

 

映画の感想

仇討ちや切腹は武士の世(江戸)に置いて

武士の魂はそのままに新しい世(明治)を

生きようと決意したであろう主人公の

心の変遷を思うと胸が熱くなりました。

 

そしてそこにたどり着けたのは

主君の

「かりそめにも命をかけたる者の訴えをおろそかに扱うな」

という言葉を貫き通せた武士道なのだと

思ったら武士の魂について興味が

湧いてきてしまいました。

 

戦前と戦後でも価値観は

ひっくり返ったのではないかと思うし

スマホがある時代とない時代でも

緩やかに世の中の価値観は変わってきて

いるように思う。

 

自分の意見は

”はっきり言えなくてはいけない”や

”自己主張しよう”などと言われているけれど

 

日本人らしい心や

譲ったり譲られたり

遠慮したりなど曖昧さを捨て去らなくても

 

日本人の魂はそのままに

新しい世を生きていくための

工夫や変化をしていければいいのかなと

私は思っています。

 

そして、江戸時代はなぜ仇討ちが公認だったのか?

気になりますよね。

仇討ちが社会的に黙認されていたのは

武士たちの「汚名を雪がずにはおれない」という自尊心のためでした。

 

武士は、面子をつぶされたり、汚名を着せられたりすることを極端に嫌がります。

 

親や兄を殺されるなどして「敵」をもった場合、まずはそれを討つために、幕府に届け出ます。

そのうえで一度、脱藩し、浪人の身となって敵を追いかけます。

 

このように苦しい生活を強いられる仇討ちですが、成功率は江戸時代を通してたった数パーセントだったのではないかといわれています。

 

それでも武士として、どうしても行わなければならない「義」だったのです。

 

武士はなぜ腹を切るのか(著)山本博文より引用

 

上記の本にも書かれていますが

「日本人は、もっと日本人であることに自信をもってよい」

私も今はそう思います。

 

10-20代の頃は

世界から遅れをとっているのではないか

そのような気持ちで外国を見ては

英語を話さなくては!

自分をアピールできるようにならなければ!

みたいに思っていたように思います。

 

良いところは取り入れて

日本の心を捨て去らなくていいし

否定しなくてもいいよなと思います。

 

という私も、

日本の心を忘れかけてしまっているのでは?

と思ったりもしながら見た映画でした。

 

日本人の琴線に触れる作品だと思います。

興味のある方はぜひ!

 

 

昔の日本人の暮らしがよくわかる

NHKの「タイムスクープハンター」を

よく見ていたことを思い出しました!!

これ、すごく好きで毎週楽しみにしていたのよね。

右矢印「タイムスクープハンター」

 

 

 

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