その年に予定されている年忌法要は、毎年大晦日までに、位牌堂入り口に張り出して案内させていただいています。
最近はよく「法事は何回忌までつとめるものですか?」と質問を受けます。
ここでは、以下の一覧を元に、法事の意味合いとつとめ方について説明します。
当寺では、現在百五十回忌までご案内をさせていただいています。そのうち、意味合いを踏まえて、新亡から百五十回忌までを3つの区分に分けます。
①忌日法要
いわゆる「七日法要」から百箇日法要までの期間です。
故人は四十九日間かけて冥土の旅をすると言われています。(参照:「地蔵札の札打ち」)
その間、七日ごとに旅の安寧を祈り行われるのが「七日法要」です。
最近は本葬が終わると引き続き「初七日法要」をおつとめしますが、当地では慣習として逮夜(前晩の供養)でおつとめしますので、後日改めて、ご自宅にて「初七日逮夜法要」をおつとめします。
以前は二七日以降もおつとめしていましたが、最近はこれを省略することが多くなりました。
そして、冥土の旅の終わりに努めるのが「四十九日法要」です。ただし、早ければ三十五日に旅を終える仏もいるということで、「四十九日法要」は三十五日から四十九日の間につとめます。
「四十九日法要」が終わると「忌中明け」となり、原則としては葬儀前の日常生活に戻って構いません。
さらに百日目にも法事をしますが、これは節目の法要としてお寺参りのみ(上法事)していただきます。
「百箇日法要」は別名「卒哭忌」とも言います。「四十九日法要」が終わると日常生活を取り戻しますが、ご遺族にとって死別の悲嘆がそれで一様に解消される訳ではないでしょう。そのため、忌中が明けてからの「点検」の意味も含めて、節目の法要としておつとめします。
年忌法要は、もともと中国が発祥だと言われています。〝孝〟が重んじられた中国では、三回忌までの丸2年かけて喪に服し、年忌法要としてはこの三回忌までだった、と言われています。
いずれにしても、新亡から三回忌までが、故人にとっても遺族にとっても、特に重要なご供養の期間であると言えます。
②年忌法要
年忌法要には狭義と広義があります。
狭義においては三十三回忌までを意味しますが、ここでは意味合いを踏まえた一周忌と三回忌を除いた、七回忌から三十三回忌の期間として説明します。
古来より日本では、法事を十三仏の信仰に基づいて行ってきました。ここでは詳しい説明は省きますが、新亡から三十三回忌までが、十三仏信仰による法事になります。(参考:高野山真言宗 出雲十三仏霊場)
以前は三十三回(五十回忌の場合もあり)の法要には、通常の板木ではなく、枝のついたハイノキの生木に文字を書いて、塔婆としてお墓に建てていました。
これは年忌法要の大きな節目を意味し、地域によってはそれ以降を「弔い上げ」と称して、個別の年忌法要を行わないもの、とされました。
最初の問いかけに戻ると、「三十三回忌までは必ず法事をしてください」ということになります。
③遠忌法要
五十回忌以降の五十年ごとに執り行われる法要のことを言います。
この辺りからだんだんと、檀主が故人との直接的な縁故を薄く感じる傾向があります。
当寺としては百五十回忌までのご案内はしますが、原則としておつとめをするかどうかは檀主が判断していいと思います。
ただし、古い家柄で代々の祭祀権を承継している、または先祖伝来の土地に住居している檀主は、仮に直接的な縁故が薄くとも、報恩の先祖供養として遠忌をおつとめするのが正当ではないでしょうか。
現代では他の承継財産と祭祀権は別個と捉えられていますが、他の先祖伝来の財産は承継して祭祀権だけ履行しないのは、道義的にいかがなものか、と考えます。
次に、それ以外の法事について説明します。
併修法要
1回の法事で2仏以上の供養をすることを「併修法要」と言います。
年内に複数件の法事がある、もしくは翌年に法事がある場合は、併修法要をして構いません。
ただし年次を遡って併修することは、原則としてできません。
歳末合同法要
年内に予定されていた法事がとり行われなかった場合、12月中旬以降に合同で法要を行います。
ただし百回忌までは対象の檀主に法要の案内を差し上げますが、百五十回忌についてはご案内を控えます。
仮に檀主のお参りがなかった場合でも、百五十回忌までは全ての先祖供養を致します。