5月中旬、「東日本大震災」の復興ボランティアで東北を訪れた時、宮城県亘理郡山元町のある被災寺院で、ご住職にお話を伺う機会がありました。

 ゼロ海抜地帯にあるそのお寺は、地震と津波で境内が壊滅的な被害を受けられました。ご住職は「家族も亡くされ、家も失ったお檀家さんが、壊れた自分の家のお墓を見て更に落胆される。せめてお墓だけでもお盆までに復旧したい」と仰って、朝から夕方まで、ただ黙々と墓地の砂泥をかき出しておられました。私は矢も盾もたまらずに、わずかながらのお手伝いをさせて頂きました。「起きたことを悔いてもしょうがない。これから、これから」とつぶやかれるご住職の、一聴すると前向きとも思えるお言葉からは、妙な語感の「渇き」が感じられました。住職というご自身の立場を全うすることで、本堂も庫裡も津波で流されたご自身の苦境、心の空白を埋めようとされていたと思うのです。

 その後になって、福島県南相馬市の93歳の女性が、原発事故の収束を悲観し、「老人は(避難生活の)あしでまといになる」「私はお墓にひなんします。ごめんなさい」と遺書を残し、自殺されたニュースが伝えられた時には、山元町のご住職のことが思い出され、あまりに皮肉で不条理な現実に、いたたまれずに身悶えそうになりました。

 その昔良寛さんは、越後地方で当時としては未曾有の大地震が発生した際、友人に「地震見舞い」と称して「〜災害に逢う時節には、災害に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ、災害を逃るる妙法にて候」と書いて渡したのだそうです。

 残念ながら私は、とても良寛さんの境涯に近づけそうになさそうです。(副住職 記)<宗淵寺寺報『がたぴし』第9号所収>

 

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 この地に生まれて、この地に育った私たち。出雲郷と記してなぜ「アダカエ」と呼ぶのと。小さい頃からの大いなる疑問でした。私が小学校の修学旅行からの帰途のこと、昭和三十八年のことです。

 当時、伯備線を走る蒸気機関車が牽引する客車の中で、新見市の汽車通勤の青年の方に話しかけられ会話する中で、島根県の「あだかえ」小学校であると言うと、どういう字を書くのかと聞かれました。当然のごとく、「いずものさと、と書いてアダカエと読むのです」、と説明したら、「珍しい地名だね、地元の人でないと絶対読めないな」といわれたことを、今でもはっきり覚えています。

 我々地域に住む者でも、よく説明できない地名なのです。以前、本誌に郷土史家の故・周藤国実氏の「阿太加夜 神社のアタカヤ、が語源である」とい うインタビュー記事を載せたことがあ りますが、今回は、以前出雲郷公民館主事として隣国大韓民国に地名「出雲郷」のルーツを探るツアー企画実行された、市向在住で檀家の野々内誠さんに当時の状況をインタビューし、来年東出雲町が、松江市と合併し、新たなスタートを切る前に、由緒ある「出雲郷(アダカエ」」という地名を永遠に 残すために再考することとしました。(序文/聞き手 岸本定朝)

 

ーなぜ、地名出雲郷のルーツを探る企画をされたのですか。

<野々内>県内には十六島(ウップルイ)など読みにくい珍名、地名がたくさんあります。出雲郷もその一つで、古文書などからは、出雲郡と同義語で出雲郷(イズモゴウ)と称していたようです。阿太加夜神社の名前から、「アタカヤ」が変じて「アダ力エ」となったとも言われています。しかし、古来から日本は朝鮮半島からの文化伝来もあり、そのルーツが朝鮮半島に存するのでは?という思いもあり、ルーツを探る企画をしたものです

 

―韓国南部には、阿羅伽椰(アラカヤ)という地名の場所が現存しているようですね。

<野々内>韓国南部の慶尚南道に確かにあります。昔は六つの伽哩国があり小国がひしめいていたようで、その一国に阿羅伽椰国が存在し、その地名は現存しており、発音も「出雲郷(アダカエ)」と類似しており、そこにターゲットを絞ってルーツを探ったと言うことです。

 

―韓国の大学の先生との協力を得て、情報交換もされたそうですね。

<野々内>韓国東亜大学の康(カン)龍権(ヨンクオン)名誉教授に同伴していただき、康教授の講話や研修会また伽椰邑長(村長)との情報交換の場を持ちました。阿羅伽椰文化院の先生方の調査・研究に基づく歴史の紹介がありましたが、阿羅伽憧が出雲郷のルーツであるというはっきりとしたことは言えないという状況でした。

 

―巻頭言にもあるように、以前に郷土史家から、阿太加夜神社がルーツであるとの可能性が高いという見解を聞いたところですが。

<野々内>確かにそのことは言えますが、阿太加夜神社の「阿」と「加」が同じであるということからも、私たちの祖先が阿羅伽椰の国から渡来した可能性がないとは言えないと思われます。阿羅伽椰国の存在は、紀元前百年ないし五百年ごろのことですので、当時からすれば二千年という長い年月が流れており、確かなことは言えないという事が現実です。

 

ー最後に、地名「出雲郷(アダカエ)」のルーツを探る課題は何がありますか。

<野々内>今後、確固とした根拠を求めること、つまり我がふるさと東出雲町に多数存在す る未発掘の遺跡の発掘や古文書の調査・研究をもっと進め、韓国阿羅伽ザ地方の遺跡や遺物との共通性を見出すことが必要であるように思われます。

 『日本書紀』によると、天を追放されたスサノオ(須佐之男命素戔男尊)は、一旦新羅に降り、土船に乗って海路で出雲に到った、とあります。また、作家の金達寿(キム・タルス)氏が『日本の中の朝鮮文化』という紀行調査シリーズの中で、出雲地方と朝鮮半島に鉄文化のつながりがあることを指摘していました。朝鮮半島の東南沿岸部に位置する阿羅伽椰地方と、地理的に近いこの地域に関係があったとしても不思議ではありません。引き続き、地名「出雲郷(アダカエ)」のルーツについて、思いを巡らしていきたいと思っています。<宗淵寺寺報『がたぴし』第8号所収>

 

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 昨年の「ユーキャン新語流行語大賞」(『現代用語の基礎知識』編)の年間大賞に「ゲゲゲの女房」が選ばれました。山陰は水木しげるご夫妻とも縁が深く、確かに昨年1年間、色々な方と交わした会話の端々で『ゲゲゲの女房』の話題がよく出ました。

 他にも、同名のNHKのキャンペーン報道がきっかけとなり、高齢者の所在不明や孤独死といった、地縁・血縁が希薄になった現代を象徴する「無縁社会」がトップテンに入っていたのが、やはり気になりました。

 ただ、私が個人的に「世相を象徴しているな」と最も気になっていたある言葉は、選考に入っていませんでした。

 それは「フルボッコ」という言葉です。

 「相手を力の限り全カ(フルFull)でボッコボコに叩きのめす」という意味を略して、主に若者が使っていた俗語で、『現代用語の基礎知識』にも2008年版から掲載されています。

 年輩の方には耳馴染みのない言葉だとは思いますが、私は気になっていたせいか、昨年よく耳にした印象があります。

 昨年結婚した某タレントは、記者に「旦那さんが浮気したらどうしますか?」と質問された時に「もちろん、フルボッコ です」と即答していました。また、とある謝罪会見で、記者からの苛烈な糾弾に謝罪者側の様子を指して「フ ルボッコになった」と表現されたこと もありました。

 確かに、流行語の条件である語感の良さはありますが、 私は「そんな恐ろしい言葉を、よくも軽々と使えるものだな」と首を傾げたものです。

 誤解を恐れずに言いますが、いくら相手に非があるからといって、再 起の余地を断たんばかりに全力で相手を叩きのめす、そんな過程や 事情を一足飛びにした極端な修羅場が日常的に横行してはならな い。それが社会生活の良識だと思い ます。

 一方の処罰感情のみが無条件に精算されて、はけ口になった他方は「赦し」や事情・心象が一考もされないのだとしたら、これは宗教的にも大問題です。

 「フルボッコ」の濫用は、そんな異常を一般化しかねません。

 重い意味が軽い語感で易々と日常会話として飛び交う世相。「キレる大人」という言葉も ありましたが、社会全体に厚く立ち込めたストレスが、偏執的な自己 愛をつたって一方的に吐き出されるだけの世相って、何だかタガが外れ たみたいでゾッとします。

 人と人の絆が危ぶまれる昨今です。「人の振り見て我が振り直せ」という礼節ある関係性をもう一度見直し、「人の振り見てフルボッコ」と短慮しないように心がけたいものです。(副住職 記)<宗淵寺寺報『がたぴし』第8号所収>

 

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 先月の、第9回参議院議員選挙。結果はみなさんご承知の通りですが、個人的に私が注視していたのは、「世襲」に対する選挙民の判断でした。

 ちょうど1年前。民主党への歴史的な政権交代をもたらした第3回衆議院総選挙では、「世襲制限」についての論争が活発だったと記憶しています。また、6月に鳩山前首相から菅首相に交代した際にも、「市民活動家出身の叩き上げ」「非世襲」との好評価も聞かれました。そんな中、世襲候補の典型とも言える青木一彦さんが「父の背中を見て育ちました」と世襲を全面に出して選挙戦を闘ったのを、大変興味深く拝見していたのです。

 私がなぜ斯くも「世襲」に興味津々なのか。それは、言わずもがな私も「世襲の僧侶」だからです。政治家の世襲では、よく「地盤・看板・かばん」の優位性が言われますが、これらは本人の意志そのものではなく、あくまで副次的・補強的な要因です。今回の選挙でも、青木さんが候補になった背景には、「看板」を利用して「地盤」をソフトランディングさせようとした後援者の事情があったはずです。

 私の場合、寺の息子として生まれたのが、僧侶になった主因です。うちではお米を買ったことがありません。お供えされたお米を備蓄して食べているからです。僧侶の中ではこのことを「仏飯を食べて育つ」と言っています。私には、この仏飯の恩義は甚大で、お供えを頂いた檀家さんに「恩義を返さなければならない」との思いが強く、「自分のやりたい事や他の仕事で食べていく」ことよりもよっぽど価値があり、「公益(共益)」に適っているとすら思えるのです。檀家さんに「わしが死んだら葬式は頼むで」と言われた言葉が、未だに励みとなっています。

 お寺の世襲は、家族も含めた「既得権(住居など)」を維持したい住職側の事情と、代替わりが発生すれば、信心を託すべき住職を探して菩提寺に迎えるという檀信徒としての義務とコストを軽減し、次代以降の「安心(あんじん)」を得たいと願う檀信徒の事情、この双方が合致して成り立つものだと思います。「伝統や慣習」と言われるものは、こう言った人為的な交感の積み重ねが、結果として残ればそのように呼ばれるのでしょう。ただ、「伝統や慣習」はあく まで器です。使わなければ煤けてしま う。どのように磨き、どんな内容物を満たし使うかは、使う本人次第です。それに、これまでにその「器」がどれだけの人の手垢にまみれ、どんな思いを満たしてきたかに思いを馳せることは、私にとっては決して無味なことではありません。いわば「骨董趣味」と「用の美」。世襲に妙味があるとすれば、それはこの二つに尽きると思います。(副住職 記)<宗淵寺寺報『がたぴし』第7号所収>

 

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 花形のミステリー作家だった高村薫氏が「小説の中で人を殺せなくなった」(インタビュー談)のは、ご自身も被災した1995年1月の阪神淡路大震災の体験からだそうで、その後10年間、曹洞宗侶・福澤彰之とその血族の大正・昭和・平成にわたる100年の物語の連作を書いてきた。

 今作では彰之の実子が犯した殺人事件と、都心の肉山寺院が運営し彰之が代表を務めたサンガでの雲水の轢死が物語の軸になっている。卓抜した筆致についてはすでに定評が確固としており、筆者が感想するに及ばない。改めて驚愕させられたのは洞察力もしくは取材力。

 ある雲水の死の背景に、サンガ内に『正法眼蔵』方巻本と2巻本それぞれに依拠した「法論」があった!確かに近年の宗門にもたらされた「根本分裂」の誘因子ともいえる命題の一つだが、まさかそこから物語が紡げるとは...。

 一見超俗的にみえるサンガであるが、その全体性の解れ目には個の主張や吐露、人間的な営為と交感が渦巻く。それを件の法論から導き出す手腕には脱帽しかない。小説の成否が「サンガの描写がリアルか」を基準におくならば、実態よりもさらにラディカルな加飾が、サンガの「求道集団」としての本懐に肉迫している。

 ただ、これもプロットの一つでしかない。最も重要なのは、僧俗を問わずに、登場人物の底流に共通体験としての「オウム真理教」や「9・11」を脈々と湛えていることである。

 これは筆者にとっても、極めてリアルな宗教体験だった。

 人は何故信じるのか、何故殺めるのか。聖俗とは何か。

 あらゆる「問い」がむき出しになり、世界中の聖性が相対の地平へ舞い落ちた、あの時...。

 それは正に、当時の仏教にとっては焼き入れのような鍛錬・補強の時期だったと言えないだろうか。懸命にオウムとの教義の「仕分け」をする過程では、寧ろ仏教自体の持つ神秘性や反社会的な側面にも目を向けざるを得なかった。しかし「9・11」に至って、他の宗教にない「善悪」を峻別しない特徴が、自らへの信仰への新たな裏づけを与えた。

 今、仏教に隣接するあらゆる物語・話材は、あの時期を基点にしなければ「リアル」を発露しない。そのことを再確認させられた。

 物語には時系列による展開があるが、洞門宗侶にとっての「時系列」は、発心・修行・菩提・涅槃が本来だろう。今作にも創作への確かな「発心」があり、そして展開としての「修行」は定や三昧の深化よりも実存的な群像劇であり、人間的な言葉や行動の応酬がある。その先の菩提と涅槃が描かれないのが、出家者でない作家には分相応と言えるが、かつては輪廻や因果が担っていた仏教の「物語」としての強度や関心が、極めて現世的な領域、発心と修行にある点は見逃せない。

 舞台装置としての「現世・今生」において僧侶・宗教者が、宗教の全体性に頼ることなく、個として(孤ではない)どのように志向し、汚泥不染の行実を為せるのか。発心と修行にどれだけの「リアル」を託せるのか。現世に生きる私たち宗侶にとっても、教化や自身の生き方の力点が、そこにある。


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 昨年の10月7、8、9日に韓国に行ってきました。首都ソウルから南に5キロほどのところにある京畿道水原市の奉寧寺を中心に開催された『コリアン・テンプルフード・フェスティバル』に出席するためです。イベント中に行われる、日台韓の精進料理に関するパネルディスカッションで登壇する日本のパネリストが、私の修業時代に大変お世話になった先輩で、その方の付き人として同行させて頂いたのです。

 今回はそのイベントについて・・・・ではなく、その訪韓で心に残ったことについてお話しします。

 7日に水原市に着き、イベントの主催者が手配してくれたホテルにチェックインしました。 翌日のパネルディスカッションを控え、先輩がその準備もあるということで、その日は早々にホテルのレストランで夕食を摂りました。

 旅の軽い疲れと開放感も手伝って、ビールを頼んで先輩と乾杯。メニューにあったステーキを頼んで食し、しばし談笑して、ビールもビールも2杯3杯とおかわりし、多少酊しながら部屋に戻り、あわよくば、パネルディスカッションが終わった明晩にはご当地名物の水原カルビでも食べに街に繰り出そうか、と算段をしながらその日は就寝しました。

 次の日、現地ガイドが迎えにきて、会場に向かう車の後部座席に先輩と乗り込むと、少し遅れて助手席に乗り込んだガイドがこちらにクルッと首を向け、となりの運転手に多少憚るように

「昨日、肉とお酒を呑み食いしましたか?」

と聞いてくるのです。前晩の食事の席には彼はいませんでした。少し怪訝に思って

「食べたけど、どうして?」

と聞くと、どうやらレストランのフロアスタッフが、

「日本のお坊さんが肉と酒を注文しているが、提供して良いのか?」

と主催者側に「通報」したようなのです。

 あまりのバツの悪さに旅の開放感もすっかり萎んでしまいました。結局その日は、主催者が用意した菜食レストランで夕食を済ま せ、結局お目当ての,生臭ものにありつくこと無く、帰国の途についたのです。

 文化の違い。と言えば簡単ですが、海外の仏教国に行くと、いつも私は僧侶として、つくづく「日本の常識は世界の非常識」ということを思い知らされます。

 日本以外の仏教国には戒律が男僧250、尼僧は350余りあると言われています。それに比べて日本の曹洞宗は十六条戒。その数の差以上に、戒律を守ろうとする意識の差が歴然としているのです。おおらかで、いい加減な日本人にとって、そのような杓子定規な規範意識はそぐ わないのかもしれません。しかし我々僧侶には、少なくとも食事に対して相当な謙虚さがなければなりません。この食事が眼前に供されるまでの経緯、どれだけの人の手を経ているのかを思い、それに見合う自己であるかを省みて、ただ猥雑に貪食することを戒めるのが戒律の本意です。僧侶としてその戒律を自己 に課した限りは、せめて慎ましく飲食すべき、と思い改めた次第です。(副住職 記)

 

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2005年に東洋経済新報社から発刊された『お寺の経済学』(中島隆信著)を巡って、宗淵寺檀信徒の小松泰夫さん(山陰経済経営研究所社長 当時)にインタビューしました。(聞き手 副住職)

 

―今回、この本を読んでのご感想をお聞かせ下さい。

<小松> まず、今の日本社会がどうなっているかというと、高齢化や核家族を背景に地縁や血縁といった地域の絆が弱くなっていますね。物流を都会に集中した方が、効率的で経済 活動には良かった高度成長時代でもありまし たが、今では通用しなくなっています。

 世界成長の中心は、人口規模からして中国や インドなどの新興国に移っており、日本が「一人 勝ち」の時代は終わりました。今までの、明治以 降の手法から転換して、アジアの一員として手を 携えて行かなければ、今後の成長はありません。

 そしてこれからの社会は、地域のことは地域で支えていく流れで、新たな地域の絆が問われているところです。

 そういう流れの中で、今は地方分権が唱えられています。ただ、道州制は地方に中央集権を持ち込むだけじゃないかという異論もありますが。

 そういった、今の日本の情勢を踏まえてこの本を読むと、正しくその構図と同じことが書 いてあるんです。

 人が「(物質的に)豊かになりたい」とか「お金を儲けたい」とかいう「煩悩の世界」と、煩悩を消し去る「仏の世界」は真反対です。特に若い時は豊かになりたいし楽しいこともしたい。そういう時は「仏の世界」からは遠い存在ですが、齢を重ねて経済的にもある程度不 安がなくなれば、今度は周囲へ施しをして協 調するという「仏の世界」に志向が移っていき ます。これはバランスの問題で、人間はその両方持ってないといけない、と私は思います。

 本の中に十善戒(注:曹洞宗では十重禁戒と呼ぶ。殺生の禁止や盗みの禁止など、仏教徒が守るべき十種の徳目)という言葉が出ていました。例えば、その中にある「人に無闇に喋ってはいけない」という戒律は、今日の個人情報保護の観点でしょう。今の社会に何が不足しているか、ということを僧侶が世間に説く ことは大切な仕事だと思います。

 これから、公益法人制度改革が始まります。私も、公の施設・外郭団体の見直しについて検討する島根県の行政改革専門小委員会に関わっていましたが、最終的にそこで何が論じられたかというと、税金を使う公共のサービスは何が狙いなのかを明確にしてメリハリをつけて絞り込み、そこから漏れたものについては、民間の寄付やNPOボランティアが関わ り易くする仕組みです。多様なサービスが収 益性に関わらず目的や効果が上がるように、み んなが支えていく仕組みですね。そこで求めら れるのは、官民一体のコミュニケーションなんです。

 今回は宗教法人は入っていませんが、公益法 人がそういう形になったら、当然宗教法人も同じような尺度で世間から見られると思います。

 

―檀家制度という前提においては、道州制ではないですが、お寺と檀信徒は比較的狭い範囲でコミュニティ(共同体)を作るわけですよね。そこではコミュニケーションが重要になる。コミュニケーションという限りは双方向、どちらからも働きかけがないといけませんね。

<小松>仰る通りで、そのためには寺檀が支え る「お寺の核」をキチッと絞らなければなりま せん。その意味では、宗淵寺さんで宗友会の若 い方々があれほど頑張ってボランティア活動を されていることは素晴らしいことです。

 それから、宗淵寺のある出雲郷地区というマーケットの話ですが、今は新しい檀信徒さんが結構入ってこられている。その一方で従来からの檀信徒さんもおられますが、新旧の檀信徒さんのお寺に寄せる思いは様々だと思うんです。また、人口の流入も永続的とは考えにくい。出雲郷地区がこれからどうなるか、二十年くらい先を見通して、コミュニケーションを築き上げねばならないのではないでしょうか。

 

ー本の中で、「植家制度の一つの利点は、コストが下がる」という話がありました。例えば華送儀礼の際に、新規でその都度お寺さんを探すよりも、寺棋がいわゆる「メンバーズクラブ」みたいな契約関係の中でお願いをした方が、色々と障害が少ないとの指摘ですが、どう思われますか?

<小松>葬送儀礼については、人の生き死にに関わることですから、コスト云々っていう対価で物 事を判断するのは相応しくないと思いますよ。

 

ー今、対価という言葉が出ました。おそらく植信徒さんが一番興味のある話だと思いますが、対価というと具体的にはお布施になると思います。最近は地域社会が希薄になりつつあり、いわゆる因習やお約束事が通り難いのか、「お布施はいくらですか?」と聞かれることが増えました。

<小松>金額を提示すると収益事業になってしまい、非営利団体としての宗教法人の性格に反します。なかなか難しいところですが、例えばお寺との関係が葬儀だけと考えるなら、目安としての金額を提示するのも一案でしょう。でも考えてみれば、 家運だって良い時も悪い時もある。お布施の額は、あくまで檀信徒が最大限自分た ちが良かれと思う範囲でされるべきです。結局、「お寺の核を作る」とはそのことで、「お寺は誰のものか」という論考が本の中にもありましたが、具体的に誰だと特定できないから結局は「仏さまのもの」と書いてありました。つまり「仏さまにお布施する」ということです。例えば、宗教法人の代表役員である住職に払うお金となると、「あそこの住職よりここの住職がいい」という比較でお寺が選ばれ、完全にお寺のガバナンス(統治する仕組み)が損得によって、つまり「受益と負担の割合が公平か」っていう話になってきます。これはいわゆる欧米的な経営の手法で、これだと従来の位数制は完全に覆ってくる。

 

ー本の中では、お寺はもう檀家制度を止めて、ある意味の競争社会に身を投じるべきだとの提言もありますが。

<小松>マーケティングの観点でいうと、例えば都会ではそれもありかもしれませんが、「熾烈な檀信徒の獲得競争でお寺が成長した」なんて話は、地方では相応しくないと思いますよ。「古くからの檀信さんからの信頼」というベースの上で新しい檀信徒さんを迎え入れるのが、より「日本的」ではないでしょうか。<宗淵寺寺報『がたぴし』第4号所収>

 

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 学生の頃、私は無類のロック好きでした。毎月音楽雑誌を2、3冊買い、それを情報源にCDを買い漁っ ていました。

 ある時、いつものように音楽雑誌を眺めていたら、外国のミュージシャンが中心となって「チベタン・フリー ダム」なるロック・フェスティバルを開催された、という記事に目が止まりました。一九九四年のことです。一見すると錚々たるミュージシャンが一同に介した盛大なコンサート(観客合 計10万人!)のようですが、実はその開催趣旨は、題名が表すように「チベットに自由を」というメッセージを発信するものでした。日本の音楽業界ではあまり見られませんが、海外のミュージシャンは政治的な発言と活動を公にします。このコンサートは、当時の中国政府によるチベット統治に抗議し、インドに亡命政府を樹立したダライ・ラマ十四世の活動を支持するイベントだったのです。

 そのことを知って、私にとって個人のきわめて享楽的な趣向の一つでしかなかったロックミュージックと、自らの些細な日常である仏教が、初めてダイナミックに結びついたその日のことを、今でも私には鮮烈な記憶として覚えています。

 お寺に生まれた私にとって、仏教とは即ち、世襲する家業のようなもの で、自身の信条であり生き方、というところまで腑落ちしていませんでした。 当時は今ほどチベットについての情報 が日本に伝わっていませんでしたが、 私が憧れて止まない多くのミュージシャンにまで影響を与える宗教者、ダライ・ラマ十四世(以下、法王)とは一体 "どういう人物なのだろうと、好奇心をかき立てられたものです。

 あれから15年。期せずして昨年は、北京オリンピックの開催を契機として、変わらずチベット自由化を訴える法王の動向と、チベットの惨状が世界的に注目を集めた年でし た。日本でも長野の善光寺が中国政府に抗議し、聖火リレーの出発場所を辞退して話題となりました。私もこれまで、2回ほど法王の日本での講演を聞きました。一九五九年の 「チベット動乱」によって24歳で故郷を追われた法王も、今年すでに74歳。長き苦難の日々から「随分と現実主義者になった」と仰っていました。政教の最前線で身を粉に してこられた法王の労苦を忍ぶと、重く胸を刺す言葉です。法王の高潔な活動や志が、このまま時の流れと共に風化するのはやりきれなく思います。(副住職 記)<宗淵寺寺報『がたぴし』第4号所収>

 

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 少し前、あるプロスポーツ選手が丸坊主になった、との話題を目にしました。何でも私生活の乱れを反省して、とのようでした。

 最近はファッションの一つとしても認知されている丸坊主ですが、一方ではこのプロ野球選手のように、公約を守れなかったり不祥事をしでかした者が自省を表す、もしくは懲罰の意味で、人が頭を丸めることは、これまでもよくありました。古代の社会では一種の罰則規定として、罪人は髪を切られ衣服を剥奪されました。その名残があるということでしょう。

 お坊さんは基本的に丸坊主が常です。これはお釈迦さまが出家をなさる際に自らの髪を落とされたことに倣ったもので、禅の修行道場では5日に1回、カミソリで髪を剃り上げます。お坊さんにとっては日常の全てが宗教的に意味があり、髪を剃るのも只の身だしなみを整えるのではなく、「髪を剃れば、衆生まさに願う、永く煩悩を離れて究めたところの寂静ならんことを」という意味のお唱えをしながら剃ります。髪の毛を煩悩の象徴として、これを断ち切るのですが、大切なのは、お坊さんは「髪を剃り続けている」ということです。

 どういうことかと申しますと、人間誰でも一時的には反省をしたり、志を立てたりするわけです。「もう二度○○をしない」とか「これからは○○をしよう」と心に決めても、中々その思いが実行として長続きしません。いわゆる「初心」とは、立てた時点では自分一人で決めるもので、それが日常生活において、他人との関わり、時勢との兼ね合いで段々と細り、忘れていきがちです。実はお坊さんもその辺の事情は同じなのですが、ただ、お坊さんは定期的に髪を剃りお唱えをすることで、その意味を再確認します。つまり初心をいつでも持ち続けるために、髪を剃り続けているのです。

 ところで、みなさんがよくご存知のお釈迦さまのお姿は丸坊主ではありません。短い髪の毛にカールがかかっていて、まるでパンチパーマのようです。もちろんお釈迦さまの時代にパーマの技術はありません。これは「螺髪」といって、後年にお釈迦さまの仏像を作った時に、仏としての聖性を人相的に強調したものです。

 とにかく、お坊さんにとって髪型にかける時間は無用、他にやらなければいけないことが山ほどある、ということです。(副住職 記)<宗淵寺寺報「がたぴし」第3号所収>

 

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 昨年の10月に、全国曹洞宗青年会の全国大会が、松江市を主会場に行われました。その主管を地元のいずも曹洞宗青年会が行ったわけですが、企画の立ち上げから数えると、約1年間、私もスタッフの一人として関わってきました。

 今回、大会のメイン講師にお呼びしたのは、東京都立川市でフリースクール「東京賢治の学校」を運営されている鳥山敏子さんという教育者の方。公立小学校で約30年教壇に立ち、その間「命に触れる授業」と称して、鶏や豚を、生徒と一緒に解体・精肉して調理する授業や、東京都に原発が出来たら、というシミュレーションをする授業など、革新的な授業を実践されてきました。現在は教職を辞し、公立学校のカリキュラムに捕われない、独自の学校運営をされています。鳥山さんが教職を辞したのは、当時の学校現場に違和感を感じたためです。それは、在職中に子どもの性質がだんだんと変わるとともに、保護者の性質も変わってきたこと。簡単に言うと〝クレーマー〟が増えたんだそうです。鳥山氏は辞職後、親子の心と体を探るワークショップを全国で開きます。そこに集まってきたのは、子育てに悩む親や、自殺願望のある若者などでした。

 大会の予習も兼ねて、昨年の3月に鳥山先生の講演とワークショップに参加してきました。ある参加者からは「仕事と家事を両立せねばならず、ぐずる子どもについ声を荒げてしまいます」という悩みが寄せられました。これを聞いた鳥山さんは、別の参加者に子ども役をさせて、その場面を実演させます。すると気づくのは、親が子どもに「(聞き分けの)良い子」を求めていること。そのうち相談者は「あなたのために、こんなに頑張ってるのに…」という言葉を、フッと漏らします。鳥山さんは、その言葉を拾って「過去にもそんな思いをしたり、聞いたことはないですか?」と聞きます。すると、だんだん相談者は自身の生い立ちを遡行していき、やがて同じことを自らの親に言われていたことに気づき、突如として泣き出してしまいました。「良い子」を演じたまま親になり、同じことを我が子にも求めていたわけです。鳥山さんの手慣れた誘導の仕方を見て、同様のケースを過去に何回も経験されているのだな、と即座に感じ、一瞬些事に思えた相談に、現代人の心の根深い心の問題の、正に〝根〟の部分を見た気がしました。

 以前、あるお寺の坐禅会に、いわゆる〝リストカッター〟の方が参禅にいらっしゃっていました。ある僧侶が「ちゃんと親には相談しているのか?」と問うと、「親にだけは絶対言えません」と言っていました。

 〝縁〟という言葉があります。〝縁結び〟や〝縁起がいい〟など、どこか陽性な印象を与える語句ですが、これらの事例に触れるとき、いつも私は〝縁(繋がり)のもつれ〟ということを感じます。先の全国大会でもこの点が触れられ、あるパネリストの方が三つの縁(繋がり)の話をされました。それは自分との繋がり、他人との繋がり、そして大自然(世界・大宇宙)との繋がりで、それらがもつれ、切れてしまっているのが現代の心の問題だとのご指摘でした。

 道元禅師は坐禅の心得として「諸縁を放捨し、万事を休息すべし」と述べられました。七百年前に現代の暗部を見透かしていたかのようなこの言葉、今更ながらドキッとさせられます。

 人の悩みの多くは、いきなりポッと自身の中から出たものではなく、あらゆる関係性の中に潜んでいる。仏教が〝縁起〟の教えを説く所以です。(副住職 記)<宗淵寺寺報『がたぴし』第二号所収>


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