炎上した燃えるアート展。

絵画作品を募集してデジタル化した後に爆破しNFT化したものをオークションに掛けるという企画。企画そのものが主にTwitterで炎上しました。

クラウドファンディングでも出資を募集して応募者が4人しか集まらなかった。

 

 

作品自体は一旦は100点揃った様子。

けれどキャンセルが出て再募集しておりそこに出展しました。

 

ちなみに、嫌がらせや当てつけの意図は無いです。

この辺りの意味合いは現代アートが好きな人なら伝わると思います。

その「伝わる」に「同意」の意味までは求めませんが一つのネタにでもなればとの思いです。

 

タイトルは「掌・爪痕」

私「骨猫」の左手のひらの手形をかたどって主に右手の爪で周囲にテクスチャを付けて描きました。

そして着色もしておらず、痕跡を自分自身の手のみで描き切っています。

私の痕跡で痕跡を描きました。これを「デジタル化」してもらいます。

 

今の代表作ネズミの植毛球体関節のアートドールと。

 

送る前に他に送る予定の方にも話したのですが…正直に言うと断られると思っていました。

何故かと言うと一目でめちゃくちゃにデジタル化が難しい事が分かるくらいに出来ているからです。この意味は後述します。

 

このイベント「デジタル化」が何を意味するのかどこにも具体的な事が記されておらず。

どこまで再現されるのかも一切不明。なのにただ爆破する事は確定している。

 

つまるところ「デジタル化」しきれずに抹消される可能性に対して説明もない。

ただ一文「色味に対しては後にアーティストによる調整も可能」との事。

作品の要素って色味だけで良いのだろうか。

この作品には色は無いので口出しできる要素は無いと言う事になるけれど。

最初からどんなデジタル化されようが、そこは向こうに一任しているのでお任せします。

ただ「オリジナルを破壊する前提で残す」そのデジタル化には責任を持って欲しい。

 

契約書には「絵画が破壊されることに同意する」と言うのはあるのでこの「破壊」に「コンセプト」や「クォリティ」を含めるのであれば契約上何の問題も無いことになる。

ようするに、あるのはただプロ意識ってやつだね。

 

 

 

 

 

 

本当は説明するのは野暮なのだけど…

より平たく言うと、こちらから作品を提示することでイベントを巻き込んでアート性を持って貰うためにいくつか問いに対する答を要求する要素を含ませました。

 

 

 

他の方の作品の一部は

イベント自体を皮肉った作品を送っています。

例えば

 

 

イベント自体にはアート的なコンセプトが無くあくまで投機目的にオリジナルの作品から「デジタル化」を行い作品を廃棄する。

その結果、オリジナル作品はNFTの方となりそれをオークションにするというもの。

そもそも爆破する必然性が無い。

 

私が作品を抹消する手段を考えるなら

  • 「機密保持専門の業者」に依頼して「証明書」を発行してもらう。
  • ロケットのペイロードの空きに載せてもらい宇宙へ行き再突入で抹消する。

とかを思いついた。

一つは機密性の保持で社会的に確実。もう一つは物理的に確実だし、宇宙関連は資料が残りやすいから後世にもその事実は断片でも残る。

 

あるいは他人の手に渡らなければ良いのだから。

抹消しないで、取りに行けないけど実在する場所に保管する。

  • マリアナ海溝に沈める
  • ダム建設や海上埋め立ての工事予定地で埋没させる
むしろこっちの方が良い気がする。コピーのデジタルデータ所有者が持ち主って同意すれば良いことだし。どっちも圧壊しそうだけど。
 
そんな中、なぜか爆破を選んだイベント運営のその「爆破」の理由も明確になっていない。
「抹消する」が目的なのは分かるものの、それが爆破である意味が伝わらない。
もしかしたら無いのかも知れない。
ただ、これが無いこと自体も別に責められるべきものでは無いと思う。
なぜなら爆破に同意した人のみが送っているのだからどんな理由だろうが別に同意していれば問題ない。
 
つまり、芸術性としては皆無とは言わないけれど、どこに有るのか分からないイベント。
絵画作品を使用するけれどそのイベント自体には何の芸術性も私には感じ取れなかった。
 
だから、こちらから作品として疑問を投げ掛けている。
その結果はデジタル化、爆破後のNFT作品として目の前に現れた時に判明する。
この答えはNFTに挑んだイベントでの公式な答えになるはずなので。
少なくとのこのイベントでアート的な文脈での答えが一つ以上出ることになる。
 
このイベントの要素を分類すると
  1. 爆破の意味
  2. イベントの意味
  3. NFT化
  4. デジタル化
炎上して騒がれているポイントは主に 「1.」と「2.」なのだけどそこで騒いでもイベントにアート性が付加される訳では無いし。何より「3.」が主軸のはずなのにこっちが全然話題になってない…。
 
そして「4.」にフォーカスしたのがこの作品。
デジタル化専門のプロなら一目で分かるデジタル化の高難易度作品。
だからイベント側は彫刻作品として断る選択肢もあった。
その場合何をもって絵画と彫刻(レリーフ)を区別するのかの定義を示すことになる。
本人は絵画のつもりなのだし。まぁ、この定義はこのイベント独自のもので問題ないけれど。
それでも、その芸術作品に対してイベントとして一つの基準を示す意義が出来る。
 
話は、デジタル化の難易度に戻るけど。
 
アルミ箔で出来た鏡面のスキャンは難しい。光が反射してしまうから撮影・測定結果が向きによって変化する。そもそも色が無い。何をデジタル化するのか。
光源の位置で無限に変化するほぼ平面状の絵画をどの光源のどのタイミングを持って記録するのか?
2Dで記録するならこの問題が残る。普通のデジタル化は「写真でも良い」となるだろうけど。
それはあくまで「実物があり一部を保存するメモ程度の記録でしかないから」。
国宝や重要文化財の記録データが写真一枚って言うのはあまり聞かない。
3DCTスキャンや3D測定に成分分析など徹底的に記録を残す。それはオリジナルが紛失した時のためにオリジナルに変わるだけの出来うる限りの「デジタル化」をする訳で。
自分からオリジナルを消去するのだから責任をもってデジタル化してくれることを期待しているけれど無限に板面の変化する絵画の表面をどうやってデジタル化するのか。
 
出来る手段は「3D測定」「法線マップ」「構造解析」。
3D測定は鏡面ではレーザーが反射するので測定が極度に難しい。
法線マップも難しいのは変わりないけれど、これは複数方向から光を当ててNormalMapを取得する方法。
一般的では無いので専用機材と言うのもそう無いし、手作業に頼るなら精度が出せず難しい。構造解析はCTで解析して表面構造を3Dとして使用する。

ただ、上記は「特定のライティング・特定の角度で撮影した状態のみを記録する」それが「デジタル化だ」と強弁されるなら、それはそれで一つの答え。
通常の絵画なら決まった色温度を決まった当て方と言う基準があるから、それに沿えばある意味正解だし。同じ条件で撮影した!と言うならそれも答え。
作品をプロ意識としてどう扱うかはさて置き。
 
もう一点重要なのがサイズ。
分かりやすいtweetがあったので引用させてもらいます。

 

 

物凄いスケールなのは分かるけれど。その印象をどれだけ2Dの画面で残せるのか。

このTweetなら凄く難しいのは伝わりそう。

 

作品は私の手のひらの形であり、それを痕跡として残すものなので私の手の実サイズである必要がある。「.jpg」とか実際のサイズと紐づかない画像ファイルではこの作品の意味が殆ど無くなる。果たしてそれを作品のデジタル化と呼ぶのかどうか。

ただの作品のデジタル「写真」では?オリジナルになり替わるものでは無くない?

 
昨夜見つけた素晴らしいサイトがある。

フィッシュアジア ffish.asia - アジア淡水魚・淡水生物多様性データベース

 

淡水生物の写真を「色見本」と「スケール」と一緒に撮影している。
これはその撮影環境を問わず、のちに実際の色味を再現するための物。
夕日の元で撮影した写真と、晴れた日の青味がかった日影で撮影した写真では全く色味は別物に映る。それでも色見本はできうる限り皆同じ色にそろえているので他の色見本との差分を算出すると色の変わって見えた写真でも元の色味を数学的に算出できる。
そして、写真ではサイズ感は消失してただの写真ではその対象のサイズを判別できないので。10mm程度のメモリ付きスケールを同じ画面に配置して撮影している。
角度で変化する構造色や異方性反射を撮影しきることは出来なくても、他に取得できる情報を何とかデジタルに記録している本当に素晴らしいデータベース。
このサイトはもしその生物が絶滅してしまうような事になっても、その姿を出来る限り正確に残そうとする高尚な想いを感じました。
これだけ残すのも管理するのも本当に想像しただけで目が回るような仕事量。
その場で撮影してもスケールが画面の端で歪んでしまっては精度が落ちるし、カラー見本に汚れが付いていたら撮り直しになるし。そもそも移動して生物の場所に撮影しに行って一枚取得するにも膨大な苦労があるはず。
ただ、それでもオリジナルになり替わっているとは到底言える訳もないし。このデータベースではそんなつもりは全く無いと思います。
 
また話は、私の作品に戻ります。
作品を3Dデータ形式でアルミのマテリアルデータとして持っていれば、VR上でその作品を再現できることになります。確かに輻輳角の再現や、見ている人の手と合わせたりできない何かの問題はあるけれど。
少なくともそこに「手の平」のサイズ実寸に再現するためのデータを保持している事になる。
これは素材がアルミ単体である事と、作品の意味がその表層にしか無いために出来る事。
仮に作品に自分の血を混ぜたとかならもうそもそもデジタル化は無理。
 
他に考えたのは『鏡に眼鏡を描いて「片目で見てね」』と言うもの。
これは現実に鏡に描いた眼鏡を片目で見ると、自分が掛けているように見える。
けれど、作品をデジタル化したら自分は映り込まない。
これでは作品をデジタル化する事は本当に不可能になる。
自分でデジタル化手法を思いつかないものを送るのはただの嫌がらせともとれるし。そう言うことはしなかった。
 
テキトウに撮影して「オリジナルの縮尺はこれです」。と寸法のメモだけ書いてデジタル化と言うかもしれないけど。オリジナルのサイズと言う概念が欠損してるから追記の必要があるって認めることにもなる。
本当に再現するなら、モニタのDPIを調べて比率を調整する必要があるし。Webサイトで気軽に表示できるようなものじゃない。
具体的に言うとスマホでこの作品を全面表示するのはサイズ的に無理。
 
契約で成り立つ何の問題も無いイベントなので。批判されたり炎上したりするようなものでは無いはずです。そして部外者が苦情を言うなど以ての外です。
社会的に何の問題もありません。
ただ、このイベントがアート作品の尊厳にかかわる問題であるとか、芸術とは何かと問う意見はありえます。それならそこはアートの文脈で語るべきものです。