何によってその県を語れるか。切り口はたくさんあるが、産業という切り口なら、石川県は機械、福井は繊維、そして富山県はくすりということになるだろう。
小さい頃、「越中富山の萬金丹、〇〇丸めて萬金丹!それを吞むやつアンポンタン!」と囃すのをよく聞いたが、当時、何を囃していたのか覚えていない。「萬金丹」の本当の名称が「反魂丹」であることは、ずいぶん後で知った。実家には富山の置き薬の赤い箱があった。売薬さんが年に1度やってきて、箱の中の薬を入れ替えていく。その時に、子供がいると風船とか紙風船、紙飛行機などのおもちゃをくれた。それをもらうと、とても嬉しかった。
富山は今も薬の町で、都道府県別の医薬品生産金額は、年により若干前後するが、最近の富山県の順位は1位か2位である。生産金額は全国の1割近くを占めている。まあ、順位は、富山県、埼玉県、静岡県、大阪府辺りはいつ入れ替わってもおかしくはない。今年は、富山県内の大手ジェネリックメーカー某社で事件があった影響で、順位は下がるかも知れない。
薬には、医家向け、OTC(Over the counter :ドラッグストアで処方箋なしに買えるやつ)、家庭配置薬の3つに分類できる。富山はそのどれもを生産しており、生産金額では圧倒的に医家向けの割合が高い(当たり前か)。だが家庭配置薬に限ると、富山県は全国の5割を生産していて、都道府県別ではダントツの1位である。2位は、おそらく奈良県だと思う。実家には、奈良県の家庭配置薬の薬箱も置いてあった。
で、富山県の医薬品の起源は、俗説では、富山藩第2代藩主 前田正甫公が「反魂丹」を作らせて全国に広めたためとされているが、本当の起源はもっと古く、奈良時代には、朝廷から越中の調(特産物)として薬草が指定されていたようだ。その後、中世(室町時代)になり、山岳信仰の一つとして立山信仰が世に広まると、立山の修験者達が、全国を布教する際に、自生する薬草を煮詰めて作った薬や、熊の胆を持ち歩き、販促ツールとして使っていたようだ。おそらく前田正甫公は、自然発生的に生まれた「売薬」を管制の工場で作らせて、品質管理を行うようにしたのではないかと思われる。江戸時代には「反魂丹役所」なる第三セクターがあった(これが、今の広貫堂の起源)。
ところで、これは持論だが、売薬は富山県の本源的蓄積(資本主義の創生)に、決定的役割を果たしたのだと思う。富山県内の金融、電力、繊維、鉄道、水産などあらゆる産業の創設には、売薬によって蓄積された資本が投入されている。金融機関については、県内20行の設立に売薬資本が投入され、これらの多くは、その後北陸銀行に統合された。また、富山信用金庫、滑川信用金庫(富山信金と合併)、上市信用金庫(現にいかわ信金)の起源は「売薬信用組合」。つまり、売薬さんの資金融通を目的にした職域信用組合だった。北陸電力の前身「北陸電灯」の設立にも売薬資本が投入されている。これらのことは、「売薬資本」という前期的商人資本が、近代的な産業資本に転化したことを物語っていると思う。
因みに、売薬資本は信用論的にも面白い。懸場帳というのは、売薬さんが全国を回り、どこどこの家に薬をどれだけ置いてきたかを書き記した、いわば大福帳だが、業者間で売買されたりする。さらに懸場帳は金融機関から借金する際の担保になる(なった)。つまり懸場帳を基に信用創造が行われる訳で、これを俗に「懸場帳信用」と呼ぶ。懸場帳担保の法的な性格は、勉強していないので知らないが、商業手形担保(商担)と似ているように思う。懸場帳に記載された取引1件、1件が為替手形のようなものではないかと思う。今では金融機関も、自己査定の際に担保価格の評価方法が不明な(旧 金融検査マニュアルにも載っていない)ことなどから、さすがに担保に取っていないと思う。しかし、いわゆる「添え担保」という扱いで担保にしているかも知れない。
