震災から7カ月以上経つと言うのに、国や行政は事実をあいまいにはぐらかし

子供たちをモルモットにしようとしている。



各地で、賢い母親達は立ち上がり、子供を守ろうと声をあげる。



母親達は、昔から他の家の子供も分け隔てなく叱る。



「そこは危ないから行っちゃダメよ!」





原発事故以降

福島の母親たちは完全に目覚めた動物的母性本能で子供たちを守ろうとしている。



補償、仕事、生活



そんなものは子供の命や健康には代えられない。



それを知っているのは親だけ。



しかも、賢い母親だけ。



しかし、行動したくても出来ない。

声に出したくても出せない人達もたくさんいる。



その人達はどうすればいいのか。



総理!知事!

この国に居る偉い人達!



「そこから今すぐに逃げなさい。」



と、早く言いなさい!



除染は避難の後でも出来るでしょ。









3/16深夜   守るべき者】



深夜過ぎ、話し声が聞こえて目が覚めた。

主人が誰かと電話をしている。

心がザワザワしてなかなか眠れなかった。



不安は的中。

その夜、主人は軽いパニックを起こしていた。



きっかけは、数日前に私の携帯に掛かってきた一本の電話。

それは、浪江町の音楽仲間で地震の後、間もなく静岡に避難した友人だった。



彼女は私の家族を残して逃げたことを詫び、とても心配してくれた。

なんとかガソリンを調達して福島まで救出に来てくれると言っていた。

私は、泣き笑いしながら「期待しないで、待ってる」と言った。



彼女は、自分の車のガソリンの心配もあるのに、あちこち駆けずり回ってくれた。



何度も何度も電話がきて「ごめん!もうちょっと待っててね!必ず迎えに行くからね!」





しかし、彼女は来られなかった。





ガソリンの買い占めや、停電、工場や港の被害のため、GSの燃料はついに枯れてしまったからだ。



15日、友人から「ごめん。行けない。」と泣きながら電話が来た。



そして、その事を主人に伝えると

「んだべ~。どうせお前の友達なんてのはそんなもんだ」と言われた。



悔しかった。

しかし、彼女の気持ちは本物だと信じていたから反論をしたくなかった。







15日夜の宴のあと、じょにさんも私も寝てしまって、主人は寂しくなったのだろう。

酔った勢いで、自分の信頼している先輩に電話をしたようだ。



「福島さ、迎えにきてくいよ!子供たちだけでもいいから助けてくいよ!頼む!見殺しにしないでくれ!」



嗚咽は主人が先輩に懇願している声だった。



主人と知り合って一度もこんな姿を見たことが無かった。



先輩の一家はその時、東京に避難していた。

そして翌日、福島に残してきた両親を助けに行くと言っていた。

主人はその車に、子供たちを乗せて避難させてくれと頼んでいたのだ。



しかし、先輩の車は人と荷物でいっぱいになってしまい、子供二人乗るスペースが無いという。



主人はきっと自分の言っている事がわからなくなっていたと思う。



寝たフリをしながら聞いていると

みっともないくらいに取り乱していた。



「そんな冷たい奴だとは思わねがった!」



私は布団にくるまりながら

そんなこと言っても先輩も困るだろう・・・・と、思いながら涙が止まらなかった。



主人の子供を思う真っ直ぐな思いがあまりにも純粋で、あまりに無謀で・・・・・。



「この人が父親で本当によかった。

どんなことがあっても子供を守ろうとする人だ」



と、安堵を覚えた。



そして、同時にとても不安になった。



主人はいざとなったらH君をどうするのだろう。

見捨てるのだろうか。



いや!私は誰が何と言おうが子供もH君も必ず守る!

無事に親元に帰せなかった時は、養子にしよう。



本気でそう思っていた。



冷静になってみれば、皆あの時は自分の家族を守ることで精一杯だった。

あの時、子供と同じくらいにH君の実を案じた私は、母親として失格だったのかもしれない。



それとも、動物的な母性本能が理性を失わせたのか・・・・・。



メスはDNAには逆らえない生き物なのかもしれない。







to be continued・・・