今朝(6/28)、テレビで「双葉高校野球部」の現在の様子を流していました。

原発から3km程にある双葉高校。

主人の母校です。

過去に三度甲子園に行った
地元の野球少年にとっては憧れの高校でした。

双高の愛称で親しまれた地元の名門校。

硬式野球をやっていた長男の憧れた高校。


部員がバラバラになり、思うような練習も出来ない中、
最後の双高野球部の健気な姿を見て、感動し涙が止まりませんでした。

震災や原発事故に負けず
ただひたすら前を向いて
走り続ける双高球児を見て

「双葉高校野球部の魂は永遠に輝き続ける」

そう、確信しました。

この夏は、
今までと違う意味で感動の多い夏になりそうです。

双高野球部の皆さん。

ありがとう!




【避難所 三中】

従兄弟が
「他の避難所にも行ってみる?」
と、聞いてくれた。

しかし、残りのガソリンが気になるし、子供達は疲れきっていた。

ひとまず福島市の避難所に行くことにした。



道中、福島の友人に連絡をして
暫く、厄介になりたいとお願いをした。

電話は途中で切れてしまい
その後何度かけても繋がらなかった。

(震災から、電話回線に制限がかかっていたのか、度々このような事があった)


福島駅前に行き、
交番で避難所を尋ねようと思ったのだが留守だった。

「留守の時はこちらへ」と言う張り紙があり、連絡先が書いてあったので電話してみる。

女性が出て対応してくれたのだが、今ひとつピントがずれている。

やっとの思いで聞き出した電話番号は話し中。

Twitterでつぶやいて見たら
即、色々な情報が入った。

電話番号なども書いてあったので
電話してみると
第三中学校の体育館が比較的近い事がわかった。

ホントに助かった。


以来Twitterは情報収集には欠かせない。



従兄弟に避難所まで送ってもらい
3/13 深夜11時頃 避難所に到着。

ここまで、本当にいろいろ迷惑をかけてしまった事を詫び
心から感謝の気持ちを伝えた。



今になり、当時の山木屋の汚染や線量が問題になって居る。

従兄弟の協力のお陰で、
子供達の被爆量が低く済んだと思いたい。



避難所の体育館はとても立派で新しい建物だった。

耐震も問題なさそうだ。

入り口で住所と名前を記入して
中に入ると
薄暗い中に何組かの家族が休んでいた。

小さな音量でテレビがついていて、原発の様子を映し出している。

体育館の壁際に段ボールが積まれていた。
それを床に敷いて休めと言う事なのだろう。

ガラガラの体育館はとても寒くて、段ボール一枚では寒さをしのげない。

見るからに強力そうなストーブが2台あったので
その内の1台の前に、段ボールを敷きつめる。

次男は自宅から持って来た羽毛ぶとんに包まると、
直ぐに深い眠りに着いた。

中学生は、お母さんのそばが恥ずかしいらしく離れて眠った。

今日一日を振り返る。

ストーブの熱と疲れで朦朧としている。

配給のフリースブランケットに包まって居るとだんだん意識が遠のく、、、。

義父母はどうして居るだろうか。

叔父さんと叔母さんにちゃんとお礼をする暇が無かった。

主人は明日来る事が出来るのだろうか。

本当に私は何をしてるんだろう、、、。




to be continued...