【3.13. 決断】

午後になりやる事がなくてとても退屈していた。

丁度、タバコも切らしたので
近所の偵察を兼ねて主人と散歩に出掛けた。

子供達にはなるべく外に出ない様にと釘を刺す。

山間の道はとてものどかで
何もない。

あるのはお休み中の畑や田んぼばかり。

時折、種まきに向けて準備をする農家の人がいる。

彼らは原発事故の事をどう思っているのだろう。

普通の日常がそこにはあった。



この日の朝、台所を手伝いながら叔母から、福島市に住む息子さんが燃料を仕入れて帰ってくると言う話を聞いていた。

叔母は私がもっと遠くに行きたがっているのを知っていたので
息子さんの車に乗って福島に送ってもらったらどうだろう。
と提案してくれた。

私の気持ちはその話を聞いた瞬間に固まった。


我が家の車は刈野小学校に、義父の車は室原に乗り捨ててしまった。

今「ひなた」にある車は2台。

全員乗り切れない。


散歩をしながらその話を主人にしてみると、主人は子供達を避難させる事には賛成だが、両親を残して行けないので自分は残ると言った。

私は、せっかく揃った家族がまたバラバラになるのが嫌だった。

日頃から喧嘩ばかりしている夫婦だったが、こんな時には頼りにしてしまう。



行けども行けどもお店らしきものはなく、1時間半位行った所にやっとお店らしきものがあった。

しかし、停電の為休業。

更に歩くと、電気工事の作業員をみつけた。

「今日はどこまで作業する予定ですか?」と聞いた。

「わかんねぇけど、夜中まで作業すんでねぇかな」と作業員は答えた。

「なんとか山木屋までお願いしますo(^▽^)o」

とびっきりの笑顔でお願いすると

「頑張ります!(`_´)ゞ」と答えてくれた。



そのまま先に進んでも何もないので来た道を引き返す。

結局タバコにはありつけなかった。

帰り道、一台の車が止まった。

大堀相馬焼きの陶芸家で音楽も嗜むアーティストだ。

確か、会津の方か二本松に行った帰りだったと思う。

色々と情報交換をして福島もガソリンがない事がわかった。

福島に住む息子さんが無事に燃料を持って来てくれるか不安になった。

大堀のアーティストは颯爽と走り去り、見送る私達は若干疲れている事に気づいた。



来た道をタラタラと歩いていたら、空は段々薄暗くなって来た。

夜の山路は歩くには暗すぎる。

ヒッチハイクで帰ろうと思い、通りすがりの車を止めると、快く乗せてくれた。

彼は川俣の避難所から津島に向かう途中の学校の先生だった。

我が家でお預かりしている長男の友達の事を話すと

「各避難所に名簿が張り出されているから探しに行ってみるといい」

と言ってくれた。

更に、津島についたらその子の親を探してくれると言う事になった。

そして、浪江からの避難者は津島にまだ多くいるからもしよければその子を連れて行ってくれるとも言っていた。

しかし、そこに彼の親御さんが居る確証はない。

私はこの子を責任持って親御さんに引き渡さなければならなかったので悩んだ。

そこに行って親御さんに会う事ができれば良いけど、
もし、会えなかったら?

悩んでいる間に「ひなた」に到着した。

息子の友人に選択を任せると
私達と一緒に居たいと言った。

そこまで送ってくれた人に連絡先を教え、何か情報があったら連絡してもらうように頼んだ。



長男の友達はとにかくポーカーフェイスなのだが、この時ばかりはやや慌てて居たように見えた。

私達と一緒に行動したいと言った彼の言葉に、信頼してもらってるんだなと思った。

はやく、親御さんの元へ返してあげたい。

はやく、安心させてあげたい。

もし、見つからなかったら、、、

息子がもう一人増える。

それも、まぁ、良いか。





to be continued...