【避難所「ひなた」】



子供達と叔母の車に乗り
「ひなた」へ向かった。



叔父と叔母は若い頃、
浪江を出てしばらくの間
東京で暮らして居た。

叔父は南青山で建築デザイナーとして活躍し
叔母は小料理屋を切り盛りしていたらしい。

10年程前に故郷に戻り
川俣町山木屋に「ひなた」をオープンした。

古民家を改装したお店の至る所に二人のセンスの良さと
愛情を感じるとても居心地のいい空間である。

料理も美味しくてとても人気のあるお店だった。




その日は停電して居た為
ランタンに火を灯していた。

ほのかな薄暗さと静寂が
現実を忘れさせてくれた。

到着したのが遅かったので
話もそこそこに床についた。


この夜も度々余震があり
次男はとても怯えてなかなか寝付けずにいた。

しかし、中3の二人は全く気づかずに朝まで熟睡していた。

羨ましい限りである。


朝が来て
悪夢はまだ続いていたが
山木屋の朝はバタバタと忙しく
気が紛れる。

「ひなた」には私達と義父母以外にも親戚が避難していた。

普段は二人きりで暮らしている叔父叔母夫婦にとって
思いがけない大所帯で
まかないもテンヤワンヤ。

勝手がわからないなりに
なんやかやとお手伝いをしていると

「おはようございまーす」

と、聞き覚えのある声。

主人である。



主人は12日の朝、
私達を送った後、ガソリンスタンドに行ったのだか
もう、閉まっていたらしい。

その後、家に戻り散らかった部屋を片付けていたら
ヘリが真上にやって来て
避難を促された。

自衛隊員が数名やってきて
町からすこし離れた刈野小学校へ行くように言われ、
車で向かったそうだ。

刈野小学校には移動用のバスが待っていて川俣の道の駅まで避難することになっていた。

主人の車のガソリンは残り少なく
仕方がないので車を乗り捨ててバスで避難したらしい。

一泊した川俣の避難所で同級生と会い
この日の朝、「ひなた」まで送ってもらったのだそうだ。



同級生一家も混ざり、更に賑やかになり冗談も飛び出し
皆に笑顔があった。

次男とおばあちゃん達は
日当たりの良い縁側でカルタ取りをしたり、歌を歌ったりしていた。

原発の事さえなければ
とても、幸せに満ちた時間だった。


「ひなた」に避難していた親戚の中に、司法書士をしている方が居り
その方と、原発の話になる。

「メルトダウン」についてだ。

親戚と私はこの時同じ意見だった。

「メルトダウンは始まっている」

この時から私は、更に遠くへ
一刻も早く避難しなければいけないと強く思った。




to be continue...