津島へ向かう国道114号線は避難する車で大渋滞だった。

途中歩いて避難する人達を拾いながらバスはノロノロと進んだ。

山に差し掛かったあたりで、次男が暑い暑いとぐずる。

定員ギリギリの車内はとても蒸し暑く
前に座っているお爺さんからは変な匂いがする。

オムツだ。

運転手さんに聞くと
「あー、もう随分来たから窓を開けてもかまわねーべ」と言った。

ほんの少し窓を開けると
山の澄んだ冷たい風が入って来て心地よい。

(まだ、ベントまで時間あるから大丈夫だろう)

2時を少し回った頃
いつもなら30分程で着く津島に
6時間程掛かってやっと着いた。

避難所とされていた津島農協の前に停車。

しかし、農協は既に満員。

布団を抱え、次男と手を繋ぎながら

「私達はどこに行けばいいんですか!」と聞く。

しかし、バスの運転手は
「俺はあんた達をここに連れてくるだけだから。後はしらねーよ」と言ってそのまま残りの避難者を迎えに町に戻ってしまった。

さっきまで一緒にバスに乗っていた人達はバラバラと居なくなり、気がつけば長男と友人も消えていた。

「ったく!あのバカっ!!」

荷物と布団を抱えたまま次男と二人で長男達を探した。

その時、地元の人が声をかけてくれた。

私は事のあらましを伝えた。

「公民館なら空いてるけど、歩いて行くには遠いから人探ししながら送って行ってあげるよ」

と、その親切な人は言ってくれた。

思わす涙が溢れる。

来た道を戻り、商店に行って見たが息子達は見つからない。

その店で、浪江軒と言うDJバーのマスターと友達に出会い
余りに嬉しくて飛び跳ねてお互いの無事を喜んだ。

息子達を見かけなかったか聞いたが知らないと言う。

再開と今後の無事を誓い2人と別れた。

その場を離れ車に戻ったら

「申し訳ないんだけどもう行かなくちゃなんない」

と、親切な人は申し訳なさそうに言った。

どうしようか迷ったが
山はとても寒く
次男を休ませたかったのもあり
ひとまず公民館に連れて行ってもらう事にした。

道中、顔見知りの消防団とすれ違った。

皆とても、疲れた表情。

まるで亡霊の様だった。



それもそうだ。

彼らは、

地震の後、津波に襲われ
地獄絵図と化した請戸で一晩中捜索に当たっていた。

暗闇の中、クラクションと助けを呼ぶ声の中必死に救助にあたっていた。

しかし、

夜明けと共に避難勧告が出され
どうする事もできずに大勢の犠牲者達を残して来のだ。

消防団の方々の苦しみは言い尽くせない。



犠牲者の中には
津波の避難誘導にあたっていた
消防団員も居る。

長男のいる野球チームのコーチをやっていた。
正義感の強い立派な青年。

彼の遺体は
まだ見つかって居ない。




to be continued...