6/22 今日の正式発表で
原発事故についての浪江町への
報告は翌日まで一切無かったそうです。

双葉と、大熊には前日数十件にFAXが流れたらしいけど。



【3.12.原発事故 ベント】

おぼろげな記憶。
遠くから町内放送の声がかすかに聞こえる。

おそらく眠りについて小一時間。

主人に起こされる。

「原発で何かあったみたいだぞ」

寝ぼけて何事か理解できない。

そのまま急いで車を出し
長男の居るふれあいセンターに急ぐ。

ふれあいセンターには既に
避難用のマイクロバスが用意されており、先発隊が避難先の津島に向けて出たばかり。

主人と手分けして、長男を探す。

しかし、ふれあいセンターに避難して居た人達は皆出払った後だった。

長男が見つからなくてオロオロして居ると、最後のバスに乗っているのを主人が見つけた。

長男は友達二人と一緒だったので、私と顔を合わせたく無かった様子で

「あっち行けよ!」とイキがる。

「ばかっ!!そんな甘ったれたこと言ってる場合じゃないんだよっ!!
非常事態くらい反抗するなっ!!!」

と、思わす声を荒げてしまう。

その時、主人が車から布団を出しながら

「先に行ってろ!俺はガソリンいれたらすぐ、津島に行くから!子供達は頼んだぞっ!」

それ以上、言葉を交わす暇は無かった。

長男と友人2人、次男と私はバスの後方に乗り込み、その後数名のお年寄りが乗って来た。

運転手が「まぁね、一応避難する感じですから。」と言いながらニコニコと喋る。

「なんか、3時頃放射能ばらまくらしいからね、落ち着くまでの間ですからね。一応窓は占めて、エアコンつけるなって事だからね...」

よく喋る。

長男と友達はそんな運転手や乗って来た老人に毒づき始める。

もう、ウンザリ。

次男は「どこ行くの?どうしたの?」と質問攻め。

不安と疲れと寝不足で
頭の中が混乱する。



(原発に何かあったなら帰れないかもしれない)




20年以上前六ヶ所村の反核キャンプに参加したことのある私は
ずっと、反核派、反原発派だった。

その為、チェルノブイリやスリーマイル島の事故など随分文献を読み漁った事もあった。


8時少し前。

マイクロバスが発車する頃

「しまった!!!」

と思った。



東京生まれの私が
浪江に住む事になって原発をあれだけ怖がって居たのに!
あれだけ危機感を持って居たのに!

8年間の間に、この私も安全神話に騙されて居た。

「まさか」と思っていた。

あり得ない事故。

地震でさえ悪夢なのに
この上、更に原発事故。

私は、何としてでも子供達を守らなくてはいけない。

何としてでも300キロ以上離れなくてはいけない。

津島で主人と会ったら、すぐに車で行けるところまで逃げよう。

危機感が蘇った。

頭の中で警告音が段々と大きくなりはじめていた。


to be continued..!