3/22 青森県十和田市に避難して来てから3ヶ月になった。

はじめのうちは不安だらけだったが、子供達の学校がはじまり
何事も無かったように容赦なく日常が押し寄せる。

不安がって居た子供達は
それぞれ友達も増え、
着実に十和田に馴染んでいる。

親達は、様々な手続きに市役所へ通い
なかなか忙しい日々が過ぎた。

ようやく落ち着いた頃から私達夫婦なりに青森県に馴染むべく行動を始めた。

イベントや被災者の会への参加、観光地巡り、そして原燃、原発をこの目で見たり、反対派との懇談、、、
刺激的で楽しかった。

しかし、

現実味のない日々。

旅の途中と言う感じの日々。

ところがここ数日、
目覚めと共に例えようのない絶望感と喪失感に襲われる。

一日の始まりが重苦しい。

原発事故のあったあの日から心の何処かで夢だと思いたがっていた。

でも、何度目覚めても目の前にあるのは奇妙な現実。

納得いかないながらにどうにかしなくては、、、と思い
気持ちが焦る。

気が付くと震災から100日が過ぎていた。

仕事もようやく決まり
一時帰宅も決まり
ボンヤリとこれからの事を考える。

今までと違う心の変化。

どうやら、現実の事として受け入れる準備が出来たんだろう。

その為の喪失感や絶望感なんだと思う。

3/11

あの日に止まった時計を動かそう。
まず、今までに起きた事を
整理しながら、、、




【3.11.東日本大震災 はじまり】




あの日の私達にはまだ夢も希望もあった。




移転したお店の開店準備の最中に起きた大地震。

その日私は一人黙々とペンキ塗りをしていた。

外出中の主人と電話をして居る最中に揺れが起きた。

「あれ?揺れてる!地震だ!」

電話を切って、ホールに行き
お客さんのボトルを安全なところに置こうと思ったその時
今まで感じた事のない揺れを感じた。

店の中はまるで転がるおもちゃ箱のように
物が落ち、吹っ飛び、あちこちから恐ろしい破壊の音がする。

地面はゴウゴウと音を立て
揺れは更にひどくなった。
立っていられなくなった私は
トイレの前の廊下で手足を突っ張って体を支えた。
頭を何度も壁にぶつけながら
揺れが収まるのを祈りながら只々待った。

とても長い時間。

恐怖を感じる反面
物凄く冷静で穏やかな気持ち。

「こりゃ、片付け大変だな」



揺れが収まり、外に出ようと思った時
この地震の破壊力に我が目を疑った。


滅茶苦茶になった厨房。
一度も使わないうちにグチャグチャになった業務用の冷蔵庫。
オーブンの扉はあらぬ方向に吹っ飛び
スモークマシンは倒れ
足の踏み場が全くない。

外に出られない!

なんとか出口に向かうも、余震の度に物が落ち、なかなか前に進めない。

やっとの思いで外に出ると、地面は陥没し、歩道はひび割れ、電信柱は傾き、斜め向かいの家は全倒壊していた。

腰が抜けそうになった。


「家族はみんな生きてるんだろうか」



to be continued.