ここ数年、3.11のあの日は岩手の陸前高田で過ごしていました。
転勤してきてしまった今年、ワンチャン、陸前高田まで行くプランも考えたけれど、さすがに今の居住地から1日で往復は無理だとなりまして、急遽都内でやっているイベントを探し、シオサイトへ…
アホみたいに道に迷いまして…
シオサイトだから汐留と思い込んでて、ゆりかもめ汐留駅まで行ってしまったり、アプリ頼って案内させてたら途中で行き先が勝手に変わったり…
結局近くに居た方に道を聞き、ものすごく丁寧に対応してくださって、2:40頃にようやく辿り着きました…(本当にありがとうございました)
風化防止というイベントでしたが、思っていたよりはこじんまりしていて(失礼)、黙祷の時間だけそこで過ごし、アンテナショップで各県の物産を少しだけ購入し、後にしました。
地元の地方紙である岩手日報をもらい…
読むとやっぱり泣いてしまう。
当たり前に来る明日はない。
日々の暮らしに感謝しながら過ごすことの大切さを改めて思います。
何度も思い出すこと。
震災直後に、実家が流されて、でも家族は無事だったという同僚に、『良かったね』と言ってしまった。
実家が流されて、良かったわけがないのに。
釜石でのボランティアのときに、あの橋には多数の遺体が並べられていたんだよね、と淡々と話してくれたお母さん。
仮設住宅のボランティアのときに、旦那さんがまだ行方不明だとその時の様子を話しながら、自分のもらったジュースやパンなどを私たちに配ってくれようとしたお母さん。
陸前高田のボランティアの時に、本家のお母さんを置いてきてしまったと話してくれたお母さん。
真っ黒の波が押し寄せてきたと言っていた。
海水に濡れたアルバムの写真を剥がすボランティアの時に、うまく剥がせなくて傷つけてしまった写真に載っていた、ご家族。
あの頃はこの経験がトラウマになって、写真を破いてしまう夢を何度も見てしまった。
陸前高田のボランティアの時、街が全て流れる中で、家族は高台の神社に身を寄せたが、自分はインフルエンザに感染していて一緒には逃げられなかったと、色々な冗談を交えながら明るく話してくれたお父さん。
けんか七夕の担い手と言っていたけれど、今も元気でいてくれているだろうか。
自宅の近くの主要道路を通って沿岸へ向かう、災害復旧に集まってくれた夥しい数の緊急車両のけたたましいサイレン。
街中が停電だったために見えた、満点の星空。
ガソリンがいつ購入できるかわからなかったので、ガソリン節約のために同僚と乗り合いで通った会社。
色々な場面で
どうしたら良かったんだろう。
どうすれば良かったんだろう。
私にはこれから何ができるんだろう。
あの日と、あの日の後のことを何度も何度も思い出し、身を律する機会にしていきたい、と思う日でもあります。
また、沿岸へ行こう。






