さーて。『スリック・フィクション イグジット・ザ・ドラゴン2』、書き始めました。
とりあえず、さわりの一章。書いてみました。今回は、どうなりますことやら。
よろしくお願いします。
『スリック・フィクション Exit the Dragon 2』
梶原祐二
申し訳ないが、それは出来ない。………デイブ。
HAL9000
1
初めに、暗闇があった。
赤色光の一閃。
中心から弾け、すぐ傍を掠めるように通り過ぎる。追い掛ける白、紫の光点が繋がって、長い軌跡を描いた。狭まる左右の光の壁面が、滑走路上の誘導灯にも似ている。情景が、見る間に大きな潮流へ変わっていく。
複数の三角形のパターンが引き延ばされると、ピンク、バーミリオンを経て、珊瑚色の赤いフレアに飲み込まれた。クジャク様のモザイクが90度回転して発光。
超新星爆発に突入する。
キーンという小さな駆動音が、身体に小刻みな震えを残した。
パチリと目を開けると、頭上に巨大な鉄のボールが見えた。黒い宇宙機械。複数の脚に支えられた装置は、複眼を持つ巨大昆虫のようだった。今にも天蓋をぶち壊し、ロンドン市内に歩き出して行きそうな勢いだ。
私、寝てた?
頭は冴えてる感じだけど、プラネタリウムの演目に超新星爆発なんてありえない。前に何度も来てるんだから。メリルボン・ロードにあるマダム・タッソー館の隣り、ロンドン・プラネタリウム。エディンバラ公フィリップによる一九五八年開館の、由緒正しき科学教育施設である。
薄暗がりに目を凝らすと、カップルばかりが目についた。この頃、ここは人気のデートスポットなのだそうな。昨今のスプートニク、アポロ計画、BBCの科学番組などの影響で、施設は連日大賑わいである。
デビーは椅子の上で身じろぎすると、楽な姿勢に移動した。彼女のアジア人的体型のしなやかな流動は、ラーヴァライトを思わせた。つまり、ホットで滑らか、ということ。華奢な体躯にAラインの黄色いミニワンピ。太腿が大胆に覗く裾丈にカラータイツを合わせている。頭は文句なしのシャープなツイギーカットで、レトロシックなラウンド・サングラスを乗せている。
横の座席の男の子たちから、不躾な視線が届いたが、デビーは終始無視を決め込んだ。男日照りに困ってるわけじゃなし、少年をからかうほど暇でもない。私がプラネタリウムに来るのは、確たる理由があってのことだ。
理由? はて? 何でしたっけ?
デビーは仕事の後、ちょくちょく、ここを訪ねていた。暗いドーム、静かなナレーション、星空。瞑想にはもってこいの場所であろう。人生に置き忘れた何かを、思い出すための場所、だろうか? なーんだ、それ? テビーは終始、自問していた。果たして何を忘れ、何を見付けようと、自分はここイングランドにいるのか?
彼女がニューヨークを出たのは去年のことだ。一九六五年の夏。それからイギリスに渡り、ボアハムウッドのコーヒー・バーでウェイトレスをしている。暮らし向きは悪くない。賃金は安くとも、足りない分はそこらの男を頼れば良い。街の男たちは陽気であっさりしていて後腐れがなかった。軽薄短小の価値観。どうやら戦後抑圧の鬱屈は、完全に終わったと見て間違いない。
静かに照明が落ちると、一斉に息を呑む気配がした。装置のモーター音。ギアの噛み合うカチカちという音。投影レンズが天蓋に、満点の星空を描いた。
ナレーションが始まった。
「紳士淑女の皆さま、真上をご覧ください。 今夜、ロンドンの上空に広がる夜空です。………星々が北極星を中心にゆっくりと回転しているのがわかります。 何世紀にもわたり旅人を導いてきた星です。………では、時を巻き戻してみましょう。 数千年前の夜空がどのように見えたか、ご覧いただきます」
ボアハムウッド駅に到着したのは、午後九時を回った頃だった。煉瓦と木造のホームに、煤けた鉄骨製屋根が被さる。辺りにディーゼルオイルの臭いが立ち込めていた。
降り立つ乗客の、気ままな振る舞いが目に付いた。スーツの男性、買い物袋を提げた主婦たち、 そして軽やかな足取りのミニスカートのヤング・レディが混ざり合う。複数の革靴が踏みしめる足音が、煉瓦壁面に木霊する。スピーカーが列車の到着と、諸々案内を告げているのだが、アナウンスは割れて聞き取れなかった。昇降客が不便を感じている風は毛ほどもない。
デビーは禁煙のプレートを横目に改札を通り抜けた。職員が彼女の派手な服装に一瞬目を留めるが、そのまま素通りし、遠くを見詰めた。五十代半ばの保守的眼差しには(移民一般)に対する距離がある。カリブ、南アジア系移民にへの偏見や排外主義であろうか。デビーの日系人風の顔付には、然したる反応はない。ベトナム戦争と繋がるアジア嫌悪。そう言う文脈は、ここロンドンでは見当たらない。ま、今のところは。とは言え、慎重に過ぎることはないだろう。民衆の矛先は日々にふら付いていて、その日その日の風任せなのだから。
ボアハムウッドは映画の街である。中心に広大なスペースで存在するMGMボアハムウッド・スタジオ。イギリス ハートフォードシャー州 ボアハムウッド シェンリー・ロード WD6 1JG。まさにそこは(スウィンギング・ロンドン)の真っ只中で、 ミニスカート、ツイギーの台頭、モッズ文化、ビートルズ、ローリングストーンズの全盛期だった。街は二十四時間、若者文化で沸騰している。
住宅街に渡る一つ手前の筋に、盛り場が見えた。そこから東に外れた一角に、二階建ての古いテラスハウスが見付かる。住宅の一部を改装したのか、店と言うより誰かの家の前室を、そのまま喫茶に差し替えたような佇まいだった。小さな吊り看板に、オリオン座の見立て図。下に並んだ字面を追うと、何故だかギリシャ風に崩したCafé Oriaon(カフェ・オライオン)と読める。ここはデビーの生活の基、ウェイトレス稼業の職場でもある。
「ハーイ」と、ハスキーな呼び声。
カウベル型の鈴が鳴り、彼女は店内を覗き込んだ。いつもの様に、いつもの如く。客足は疎らであった。ラジオからはBBCのニュースが。木製の丸テーブルにエーゲ海を思わせるブルーの壁。天井は一際濃い群青に塗り立てられ、星座の形に豆電球が散りばめてあった。コンセプトは簡単だ。いわゆるオーナー夫婦の出身地ってことだろう。シナモン入りコーヒーと、バタートーストが甘く香った。
「どしたの、デビー? 夜勤もやる? うち、そんな払えないよ」
カウンターから気さくに声を掛けて来る皺くちゃ爺は、コスタ・パパサナシュであった。年の頃、七十ウン歳のカマキリ然としたギリシャ人。デビーは普段、パパと呼んだ。パパ・パパサナシュ、何だか舌を噛みそうな名前だが、それがここいらの通り名だ。厨房で馨しいバクラヴァを切り分けているのが奥さんのメリナ。こっちはマンマで通っている。
デビーはカウンターに寄り掛かると、頭の上のサングラスをいじった。
「ご冗談。夕方からロンドン・プラネタリウムに行ったのよ。………で、その帰り」
パパは黙ってOrion Blendを差し出した。
「デートかい?」
デビーは後ろ頭を掻いた。
「ちょっと、その………考え事」
パパ・パパサナシュはウインクした。
「星に願いを」
デビーはコーヒーカップを抱えたまま、店内をウロウロした。奥まった席に旧知の顔を見付ける。もじゃもじゃ頭の小太り男。樹脂ぶちの黒い眼鏡を掛けている。テビーが手を上げると、男の表情か輝いた。
「やあ、デビー」
「ハーイ、ポール」
待つことなくデビーは、男と同席に座った。馴れ合いの知人。その関係はあっさりとしたものだった。
「こんな時間に、どしたの?」と、ポール。
デビーはコーヒーカップを一口啜ると、人差し指を振った。
「それはこっちの台詞よ。珍しい時間じゃない? ………仕事だったの?」
勿体ぶった男の、無精髭の口元が笑った。
「ウーム、ま、試写があってね。それで」
「映画?」と、デビー。
「そうだよ。今年のカンヌの、グランプリ作品さ。字幕版が上がったんで、関係者向けのテスト試写があったんだ」
デビーは小さくうなずき、シナモン・フレーバーを吸い込んだ。
「なるほど。あんたも今や、関係者様だね」
「僕は業界向けのレヴューを一つ、任されてる」そう言って胸を張った。
デビーはカップを高く掲げると、
「ポール・トマス・ソール、新進気鋭の映画ライター。偉くなったものよね」
ポールは照れ笑いしつつ………が、否定はしない。
「今、フランス映画が熱いんだ」
ポールとは去年、この街に移った時、この場所で知り合った。カップ片手に、ああでもない、こうでもないと添削している姿が面白くて、思わず声を掛けてしまった。彼は駆け出しの映画ライターで、近頃、業界紙のコラムを担当することとなった。なので、まだ儲かってはいない。シネフィル以上、作家未満。売れっ子というにはもう数年、修行が必要かもしれない。
デビーは鼻の頭に皺を寄せると、小さく首を振った。
「私は、ちょっと………無理?」
ポールは眼鏡の奥から覗き込んだ。
「ひょっとして、ゴダールで懲りちゃった?」
デビーが複雑な表情を見せる。指折り数えて思い出した。
「『勝手にしやがれ』と、後………何だっけ?」
「『アルファヴィル』?」
「それそれ。(元気です。ありがとう。どうぞ)」
デビーはそう言って肩をすくめた。
「それ、アルファシティ的挨拶、だよね?」
「わけわかんない」
と、デビー。ポールが煙草に火を点けると、彼女も所望した。
「頂戴よ」
ポールはケースごと彼女に寄越した。そして(カフェ・オライオン)のロゴ入りマッチを手渡した。
「あれってさ、SF映画なの?」と、デビーがたずねた。ポールは、にやにや笑い、
「観たんでしょ?」
「フーム。結構、寝てたかな?」
「アート・シネマでSF。トリエステSF映画祭でグランプリ。受賞してるし」
「へえー」デビーは興味なさそうに煙を吹き上げる。「ま、百歩譲って『アルファヴィル』は認めよう。一応、映画の体裁は整ってるしね」
「うん、まあ………」
そこに、パパ・パパサナシュがバクラヴァの乗った皿を運んで来た。
「ほい、お待ち」
焼きたてのパイが香ばしい匂いを立てている。生地に織り込んだナッツの香り。サクサクのパイ生地にシロップがたっぷり掛かったこのお菓子は、ポールの大のお気に入りである。
「おー、来た来た」
目を輝かせるポール。それを見てデビーが顔を曇らせる。
「この時間から食べんの? 甘いシナモン・コーヒーと一緒に?」
「ウン、そう。………何か?」
ポールはにっこり微笑むとナイフとフォークを手にした。デビーは薄目を閉じる。
「いえ………何でもないです。………楽しんで」
ポールは無意識に太鼓腹を擦り、咀嚼した。
「それで? 体裁が………どう………したって?」
モゴモゴ、口を動かしながら、ポールは話題を繋いだ。デビーは言った。
「だから『アルファヴィル』は、そこそこ映画になってるけど、『勝手にしやがれ』はどうよ、って話。はっきり言って素人が適当に書いて、適当に繋いだみたいな。そういう出来映えじゃない?」
ポールは顔の前でナイフを回した。
「あの映画はね、映画の成立を根底から覆すような、そんなアイデアがあるんだよ。ヌーヴェルバーグならでは、って言うのかな?」
「それってジャンプカットのことかしら? ジーン・セバーグとジャン=ポール・ベルモンドが車に乗ってる場面の、同じカットを縮めるように鋏を入れる。あれでしょ?」
「そうそう」
デビーは右手を突き出し、否定した。
「あんなの、ただの思い付きよ。完全に浮き上がってるし、ストーリーとも馴染んでない。別にアイデアは構わないのよ。ただ、それをどう映画に落とし込むか、そこが問題でしょ? 手法としては単なるダダね。ダダイズムの理屈で、ただ映画を解体したってだけ」
ポールはコーヒーでパイを飲み下すと、吟味した。
「ウーム。………ゴダール作品に、ハリウッド・スタジオ・システムの技術的洗練がないと言うのは………確かにね。でも解体されて、映画、もしくはフィルムがどう機能しているのか。それが判ったって重要じゃない?」
デビーは、熱弁を振るって喉が渇いたのか、まだ熱いコーヒーをゴクリと飲んだ。
「解体と創作は違うわ。ばらしたんならもう一度組み立てなきゃ。そうでしょ? 『アルファヴィル』の前後で一旦は収まるけど、結局『気狂いピエロ』で元に戻っちゃう。アルファベット順に現れるクレジットとか、ジャンプカットが今度は音楽にまで影響して、心理や感情を支えるサウンドトラックがブツ切りにされ、機能を果たしていない。あるのは不安定な間と沈黙があるだけ」
そこでポールは手を止めて、眉間に皺を寄せた。
「ちょっと待って、デビー。『気狂いピエロ』は、一体、何処で観たんだい?」
デビーはキョトンとした。
「えっ? 普通に。映画館で観たわよ。去年かな?」
ポールは身を乗り出した。
「いやいやいや、そりゃ、フランスではね。ロンドンの公開日は今年の十月。まだ二か月も先だし、先行上映の話もない。ひょっとしてパリで観たの?」
デビーは肩をすくめた。
「ワタシ、フランス語、ワッカリマセーン」
「だよね?」
そう言われて、デビーは急に不安になった。
「あれっ? ちょっとそれは………おかしいよね? 私の頭が解体してる?」
「ン?」
「ン? ン? ン?」
デビーは苦笑いで胡麻化した。
「ゴダール嫌い過ぎて、夢に出て来たかな?」
「ないないない」
そこでポールは片眉を持ち上げ、唇を尖らせる。デビーは思った。この男の一番の美徳は、解決しない何故? に、いちいち執着しないところである。
「ま、何でもいいけど。………でも、君がフランス映画に否定的なのは残念だなあ。………そうだ、今度、今年のカンヌの受賞作、見るといいよ。ゴダールのやってる実験が、ある意味、きちんとした形に成立している。一見の価値あり」
デビーは疑わしそうに唸った。
「ほんとに?」
「ほんとさ。騙されたと思って」
「いやー、騙されたくないんですけどー」
「いやいやいや………」
「それって、どういう内容?」
彼女の興味が、首をもたげたのを見逃さなかった。ポールは僅かに身を乗り出した。
「近作では珍しい、純粋な恋愛映画でね」
「ふんふん」
「クロード・ルルーシュの『男と女』。………映画表現の新たな地平を切り開く劇映画だ。君もきっと、納得するよ」
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小説・『イグジット・ザ・ドラゴン』
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