昨年12月10日以来、

ブログを書いておりませんでした。


その理由は、

尊敬していた若い経営者ドクターを脳出血で失い、

私自身の気力も萎えていたからです。


本当に何があるか分かりません。


昨年の11月10日

いわき市でご一緒しました。


夜遅くまで杯を交わし、

私の20年振りのゴルフを、共にプレイしました。


これが彼との最後になりました。


自分より30才近くも若かった彼ですが、

感動を与えてくれ、存在感のある方でした。


彼の死が、

ブログを書く気力を失せさせてしまっていたのです。


合掌。


先日、大手町のクリニック外来にて、

ある二人から 

ブログを楽しみにしている

と言われました。


更には、

先生を信じて治療を行い命を貰っているのに!ブログが生をくださる

と励ましてくださいました。


ブログを書くという事は、自分の満足感だけでなく、

読者に元気を与える意味があるのだ

と目覚めて、今回筆を執った次第です。



さて、3月21日春分の日、

大学の卒業式に出席しました。


昨年の卒業式では、

前述した亡き先生が、

ハリーポッター風マントと帽子を嫌々被せられ、

ひな壇に座っていた事を思い出されます。


その時です。


本邦トップの吹奏楽指導者である根本直人先生のピアノ演奏イントロが、

私の右脳に響き渡りました。


懐かしい「仰げば尊し」であります。


私が小学一年生の時、

父と母が小さな町で離婚し、

辛い時に担任の坂槇君人先生が助けてくれた事を思い出し、

が堪えられなくなってしまいました。


先生には、

時にはバットで叩かれ、

廊下には何度も立たされました。


愛の鞭で叱咤されましたが、

時には誉めてくださり、

いつも私の側にいらっしゃって下さいました。


先生が仰ったことは、

世のため人のために志を持ち、祖父の意志を継いで良医になる

ということでした。


先生から受けたこのこそが、

歌詞の中にもある「我が師の恩」なのです。


戦後の卒業式にて、

仰げば尊し」が敬遠された理由は、

2番の「身を立て 名を挙げ やよ励めよ」という歌詞が、

立身出世を肯定していることが問題とされ、

平等主義の日教組指導の戦後教育に合わなかったようであります。


今年の卒業式は、

ハリーポッター風の服装は無くなりました。


それでも国旗が掲揚され、

仰げば尊し」の曲が流れ、

厳かで生徒と父兄に感動を与えました。


やっと、まともな卒業式になったと感じ、

帰りの車中となりました。