去る11月10日、

いわき明星大学の講堂にて、

日野皓正東北復興祈念チャリティーコンサートが行われました。

今回のチャリティーコンサートは、

理事長先生の素晴らしい御英断により開催され、大盛況でした。


今年5月12日のブログ、

「日野皓正のジャズコンサートを聴いて」にも書きましたが、

50年前から日野皓正さんの大ファンであり、

私がジャズが大好きになったきっかけのお一人でもあります。


かつて、私の医学生時代というのは、

インターン闘争学生運動の真っ只中でした。


学生運動により捕まってしまうと、

特別奨学金が剥奪されるゆえ、

デモは緊張感のあるものでした。


そのようなデモの帰りには、

必ず新宿にあったピットインというジャズ喫茶に立ち寄りました。


逮捕されなかった安心感から、

貪るようにジャズライブを聴くためだったのです。


その場のスターは、

いつも日野皓正さんであり、

そんな天才に憧れたことが思い出されます。


それからは、学生運動に嫌気をさして、

ジャズ関連のアルバイトに明け暮れました。


冬は苗場のプリンスホテル、

夏は伊豆下田の東急ホテルなどで、

バンドボーイ前座として、

アルトサックスを吹きました。


夜になると、銀座の「クラブ コスモ」で、

バンドボーイ兼、黒服バイトに明け暮れていたものです。


最も楽しかった思い出は、

2年生の春休みの演奏旅行です。


ドラムの石丸 新君(外科医)

ベースの川崎 了君(皮膚科医)

ギターの藤井 浩二君(精神科医)


この4人のメンバーで、

石丸君の実家である愛媛県の松山へ、

演奏旅行に出掛けました。


ジャズ喫茶では、人気がないため、

お客さんが入らなく、稼ぐことが出来ませんでした。


最後には、奥道後温泉のいかがわしいスナックで演奏した事が、

走馬灯のように思い出されます。


あの時もっと演奏が上手で、

お金がたくさん稼げていたら、

メンバー全員、医者にならなかったかも知れません。


ちなみに、天才 日野皓正さんは、

日々、有酸素運動筋トレを欠かさないそうです。


それにより、強力な肺機能を維持し、

心身共に鍛えていると拝聴しています。


チャリティーコンサートの際に、

日野さんのサインを頂きました。

この、吾唯足知」の4つの「口」を活用したサインは、

私の一生の宝物となりました。


サインはプロダクションの許可を頂いてます