幸福な食卓/瀬尾 まいこ | Bon livre –いつか最良の一冊と出会う–


幸福な食卓 (講談社文庫)


「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」

出だしの一行目で何を言うのだこの人は、と読者は驚くだろうが
朝っぱらから何を言うのだこの人は、と佐和子はもっと驚いただろう。

そう宣言した弘さんは、父親という役割も、教師という職も、降りてしまった。
けれど、全編をとおして、非常に父親らしい。
娘を心配したり、励ましたり、ぜんぜん辞められてない。

フリーターになった父と、家を出ていった母と、恋して病んだ兄と、
それだけ聞くと「家庭崩壊」してるように見えなくもないけど、
そこにあるのはたしかに、家族らしい温かさに溢れた「幸福な食卓」なのだ。

父さんも母さんも直ちゃんも、ケンカもせず、いっしょにごはんを食べて、
何よりも佐和子のことをみんな気にかけてる。

「うちはふつうの家庭ですよ」って顔してお互い無関心な家庭より
ずっとずっとまともな家庭だ。不思議なことに。

妙に淡白で、それでいてそれぞれが真面目で思いやりがある人間だからか。

「かならず家族そろって朝食をとる」というのは確かに非効率だけれど、
一日に一度は全員で食卓を囲む、というのはとても大事なことだと思う。
うちは両親が共働きで、ひとりでごはんを食べることが多かったからか、
やっぱりどっか人付き合いがヘタだったり、他人への気遣いに欠けるところがある。と、自分で思う。

悲惨な事件もあって、おかしな家庭だけれど、
佐和子はきっと“寂しさ”をあまり感じずに育った“幸福な子供”だ。

「真剣ささえ捨てることができたら、困難は軽減できたのに」

長生きの秘訣。とても共感できる。
それはつまり、“ストレスが減る”ことに直結するからだ。

例えば私は、ルールとかマナーが妙に気になるところがあって(自分が守りきれてるかは別)、
電車で大声で喋ってるひとや、詰めれば座れる人が増えるのにスペースとって座る人、
すこし気をまわせば仕事がやりやすくなるのに、友達同士でも勝手すぎる、など
他人に対して“もっとこうするべき”っていう部分に苛立ちすぎてて。
イライラしてるのはよくないな、と何も気にしないよう平常心を保つようにしたら、
今度は何事にも無関心・無感動になって、生活が楽しくなくなってしまった。
バランスがすごく難しいな、とまた悩んだりした。

それに比べたら、中原家のみなさんはよっぽどちゃんと、うまく生きてると思う。

へんてこな家庭のなかでも、辛い学校生活でも、乗り越えて日々を生きてきた佐和子を襲うラストの衝撃。
正直、瀬尾さんに「え、なんでそんなことしたの?」って聞きたくなった。

それでも佐和子には家があるから。みんながそろう、食卓があるから。
新しい傘で軽快に水たまりをはねることが出来る梅雨や、
きゅうと巻いたマフラーをいつか、自然とはずせる春が来るのだろう。