渡邉
2番目の事例報告に移りたいと思います。次の事例報告はプロダクトリングの山本洋士さんです。
簡単に、ご紹介します。
山本さんは1984年生まれの29歳です。
浜松生まれの浜松育ち。
地元の高校を卒業しアメリカへ、単身で留学されたそうです。
7年間、アメリカでの生活を終えて帰国されたそうです。地元の水産会社から、浜名湖の漁業の仕事を勧められました。その後、市民活動団体の立ち上げを機に、様々なプロダクトに携わる事になって、今に至っているという事で、詳しくは中身を、これからのお話でという事で、よろしくお願いします。


山本
よろしくお願いします。
ご紹介いただきました、山本洋士といいます。名札の方にはHIROって書いてあるんですけど、結構、皆さんにはHIROとか、ヒロさんとか、たまに山ちゃんとか言われたりしているんですけど、気軽な感じで呼んでいただければ、いいかなぁと思います。よろしくお願いします。

今回「気軽に楽しく地産地商」という事で、何か、どっかのテーマに興味が有って、こちらの方を選んでいただいたと思うんですけど、気軽にお話させていただければと思いますので、よろしくお願いします。

簡単に私のプロフィールの事、渡邊さんに紹介していただいたのですけど、もう1度、簡単にお伝えします。
浜松に生まれて育ちました。その後、高校卒業してすぐ、アメリカの方に留学させていただきました。

何でアメリカに行ったかっていうのも、特に、浜松を出たかったのが強く有りました。
浜松の中でも田舎の方で、庄内半島、村櫛。ガーデンパーク、花博やった事があるところとかって言うと、よく分かるかもしれないですけど。やっぱり、あそこにいると、コンビニも無い、商店街しか無い。商店街もどんどん畳んでいく。そんな中で、なんかこう、新しい景色を見てみたいなぁ、という事が有って、自分の友達なんか皆東京行ったりとか大阪行ったりとか色々地方に分かれたんですけど、ちょっと普通じゃない事をやりたいなあというのが強く有りました。なので、じゃあ行くんだったら凄く遠くに行ってみようというような事で、アメリカ。まあ、海外に行ってみようという事で、本当はカナダに行きたかったんですけれど、なかなかカナダに行くための支援、サポートがあまり無くて、たまたまアメリカに行けたので、アメリカに行きました。

で、アメリカで留学生活を始めて、それで4年くらいで帰ってくるのが普通なんですけれど、ま、色々向こうの生活が楽しかったりだとか、活動を始めたりだとか、最終的には7年いました。
1年間日本に帰ってきてアルバイトというか派遣でスズキのラインをやったりだとか、そういった事もあったので、トータルだと8年間は留学生活みたいな感じです。

で、7年間アメリカの方に住んで色んな事をやらさせていただきました。
で、帰ってきて何をしようかって言っても7年も向こうに行っていると、凄く、日本に帰ってきてもアウェイなんですね。

で、地元に帰ってきて花博が終わっていた。花博、10年前の花博まったく知らない。
工事されてるダンプカーが山のように通って行った事しか覚えていない。で、浜名湖大橋ってやつが有るんですけど、あれは昔は有料だったんですけれど、無料になっていて、ゲートみたいなのが無くなっていて、なんかこう、どこに帰ってきたのかなっていう感じが有りました。

で、仕事をやらなきゃなって事で、たまたま自分の親友のお父さんが会社をやっていまして、その会社にバイトでいいから来いよって言われて行きました。
そこが、先ほど紹介していただいた水産加工会社でした。

水産加工会社をやりながら、ちょっとマルチなんですけど、色んな事やっているんですけど水産加工会社をやりながら、冬の間は浜名湖の特別採捕という漁がありまして、浜名湖の漁、色んな種類の漁が有るんですけど、アユの稚魚っていうのが浜名湖で捕れます。

浜名湖で捕れたアユの稚魚を養殖して、それを天竜川に放流するとか、岐阜に行って放流するとか、そういった事をする会社をしてたんですけど、その当時は、もう養殖は止めていて、主には稚魚を捕って養殖会社に売るっていうような事をやっていました。
なので、一応漁師をやっていました。

漁師をやっているから魚なんかも色々入ってきて、魚の販売もやっていました。魚の販売をやっていて、未利用魚、雑魚とかがいまして、雑魚を販売、加工するような仕事を水産加工会社で、やりながら、でも一応ショップにもなっているので、そのショップで、観光客とかが来たら販売すると。
でも観光客も当時、ほとんど少なくなっていて観光客だけじゃ、だめだなぁという事で新しい商品を開発して地元の商品を、当時は地産地商という概念は無く、地産他商。要するにとにかく作った物を外に売ろうっていう感じ、外に売らないと駄目じゃないのかというような事だったんですけれど、それじゃちょっと地元との関わりが薄いなという事で、お土産屋さんっていう体系をやめて地域の店にしようって事で仕入れた魚を鮮魚で販売するなど、凄く地域価格で販売するし、自分たちこういう活動やっているんだよって事をPRしてポスティングとかスクーターで周りながら朝4時くらい、地域の人たちのポストに入れていく。そんな事もやらさせていただきました。

その時に色んな商品の開発とか、未利用資源という、資源でいうと使われていた時期を越えてしまうと使われなくなってしまうような物、そういった物がお金をかけて棄てられていく。浜名湖なんかでも、色んな農作物はじめ水産物ってとれています。ただ、使われる物と使われないものが凄く仕分けされて、使われないものが棄てられてしまうような、お金をかけて、どこかの業者に引き取ってもらうような、そんな環境って、これは面白くないなって事で、そういうのを活用するような仕事に関わりながら、だんだん地域が、そういうのに目を向けるのって、面白いなと思って、で、農家さんの未利用資源だったり、漁師さんから出る未利用魚、雑魚だったり、そういった物を有効活用してやる事に、喜びを感じるようになってきました。
で、そこから色々とあったんですけど、その会社自体、今現在色んな不幸があって、無くなってしまっています。で、私自身起業して、そういった商品開発に関わる仕事をしています。
で、起業したのが今年の10月なので、まだまだホヤホヤのペーペーです。ただまあ、そういった事を、色んな経験をしてるって事も自分自身は感じていますし、通常だったら色々リスクが有るだろうとか、色んな大変な事とかって言われると思うんですけど、やっぱり、気軽に考えていこうというのは自分の中にあります。
ビジネスをやる上で、それが正しい正しくないかは分からないんですけれど、とにかく何でも挑戦していくというような事を1つの自分たちの企業のコンセプトとして考えています。
色んな、本当にこれやっていて意味が有るのかなっていう事、物凄く沢山有ると思います。ま、そういった事を色々挑戦して、その中から色んな人の繋がりを集めていく。こういったビジネスモデルを作りたいなって事で、今回、簡単に話させていただきますが、プロダクトリングプロジェクトという物を考案しました。プロダクトリングプロジェクトという物が、どういう物かっていうと、プロダクトリングというのは造語で、私が創りました。
プロダクトというとやはり商品とか、そういったイメージをされると思います。あと、プロデューサーというと、何か作られる生産家の人たち、というようなイメージだと思います。
で、リングってING。INGというと循環するとか、発展していく、そういったようなイメージを私は持っていて、それを引っくるめて繋げてプロダクトリングとプロジェクト、プロダクトリングプロジェクトを立ち上げました。

で、その中で地域の、こだわりを持ったり、思いを込めて作っていられるプロデューサーの方々、そういった方々をプロダクターというようなくくりで、自分たちで呼んで地域にいるプロダクターの方々を開拓をしていく。そういったような活動を現在しております。

プロダクターってどういう定義でプロダクターになるかというと、商品の開発とかに関わらず、その物に対して自分が凄くこだわりを持っているとか、思いを掛けているとか、そういった物を生産されている方にインタビューを掛けて、自分たちの中で、この方は本当に地域の事を思っているのかとか、どんな思いで作っているのかという事を精査した上で、この方は本当に地域のためになるプロダクターだという事で取材させていただいた物をホームページで公開する。今のところホームページは開設中です。「プロダクトリング.com」という事で、今年中に公開できればなと思っているんですけど、もう少々お待ち下さい。
で、そのプロダクターの方々に出会って、思いを引き上げて、それぞれのプロダクターの人たちの商品なんかをホームページ上で紹介、公開、販売させていたたく予定です。
そういったプロダクターの方々って、主には生産者になるわけですね。第1次産業といわれる。生産者の方々って、元々は生産がメインでやられているので、なかなか生産以外の事って、やりきれないところが非常に有るなと思います。自分自身も水産加工やっていて6次産業化といって会社の中で補助金とかも取って大々的なプロジェクトとかやったりしていたんですけど、結果的にいうと、続きません。生産者の方々に何か開発をしろって言うのは凄く酷だなあと感じております。で、そういった中で、どうしたら気軽に生産者の方々がやれるのかなあという事を考えて、今って色んなこういう、お茶とか、今日のお弁当とか色んな物が有ると思うんですけど、大きなところが作っている物って多いなと思います。
で、午前中のジェイの話にも有ったんですけれど、本当に大手の方って物凄い力を持っていて、その分野の法律を作っている。
この商品がいいんだと言ったら大手の人たちは莫大なお金を掛けて私たちを「これがいいんだ!」という風に洗脳されてきている。何がいいのか分からなくなってきているような、そんな環境にあるなと思っています。それじゃちょっと太刀打ちできないので、地域の本当にこだわりが有る身近にいる生産者の方々が気軽に作って、それを沢山作る必要は無いんですね。なので例えば商品開発するっていった場合、本当に小ロットで、加工業者と繋げて、それを生産者の繋がりが有る人たちに、配るとか、例えば普段、お歳暮とか、お年忌で、1つの箱菓子を買っていたけれど、それをやめて、自分たちで何か作っているわけだから、それを簡単に加工して、例えば贈る分のお金だけ掛けて自分たちが加工した物をお渡ししていこうか、そこからもしかしたら、その友達の方が、これいいね、じゃあ買ってみようかっていう風になるかもしれないし、例えば、それを作って販売するという形に持っていく、というそのプロセスを、もっともっと広く公開して、で、その元々ある1次産業のところ、そこががどんどん活性化していって、本当にこだわりをもっともっと持って、生産して行けばい
いなあっていうのが、1つのコンセプトとして、有ります。

折角なので、事例を話ししないといけないなあと思いまして、1つだけ、1瓶、持ってきました。で、この中に入っているシールがプロダクトリングのロゴシールなんですけれど実はこれ、本日限定で20個用意しております。なので、ご飯の後のおかず、スイーツに、20名分しか無いんですけれど、お配りできればなあと思います。で、私たちプロダクターの商品という事で、プロデュースさせていただきました。内容どういう物かといいますと、実は瓶なんですけどカスタードなんです。「浜名湖カスタード」っていう商品で今回企画させていただいて、自分たちが企画をして、生産者の方に、こういう物を開発してみましょうよっていう風に話をしに行って開発しました。主な原材料は卵を1つメインの原材料として使っています。この卵は湖西市で作られている、こだわりの生産者の、ウズラの卵から作ったカスタードクリームです。
で、ウズラの卵って3つくらいのデメリットポイントが有りまして

小さい
加工が難しい
栄養価が高すぎる

色々あるのですけど、1つ1つを加工業者さんにお願いしたら、これ、物凄いお金になります。だけれど、小ロット。例えば100個とか、そういったもので小さな加工施設でやれば、こういった物もそんなに高くなくできます。これをバンバン販売して収益を上げようとすると、本当の生産のところが追い付かなくなるので、これは切っ掛けだけにしよう。もし、これが本当にどんどん売れるようであって、更に加工業者との折り合いが付くようであれば大量生産してもいいし、元々は、こんな物も作れるんだとか、こういった物が商品で有るんだとか、そういった形で、生産者が露出していけれる、切っ掛けが作れればなと思っています。
なので、色んな地域を回らせていただいて、様々な生産者さんとお話させていただく事が多いんですけれど、皆さん、物凄くこだわりが有ります。栽培にこだわりを持っていたりだとか、色、形にこだわりを持っていたりだとか、色んな思いを込めています。なので、そういったプロダクターの方と繋がりを持ってやっていければなというのがプロダクトリングプロジェクトというような物になっております。


今後の展望としては、課題となっているのは加工のところです。加工もどこでもいい訳では無いですし、家庭でできるものでも勿論ないです。で、大きな加工施設を構えてしまうと、動かすのに原材料1トンからとか、1ロット1,000個からとか、そういった話になってしまうと、生産者さん全然太刀打ちできないので、今考えていて色んな方にお話をしているのが、地域に有る共同加工施設、そういった物を立ち上げられないかなという風に考えております。
で、加工施設で食品となると、衛生問題とか色々な問題が発生してくるんですけど、そういった事も1つ1つクリアしていきながら地域の商品を地域の方々にもっと知ってもらうための切っ掛け作りといった事をやっていくために、この共同加工施設で誰でも気軽に、自分の場合は「気軽に楽しく地産地商」を自分自身がやるっていう事よりも、「気軽に楽しく地産地商」をやりたいとか、やれる可能性が有る生産者の方々のサポートをする商品開発のコンサルタントだったり、そういった事をやらさせていただいております。
大体プロダクトリングのプロジェクトの話はこれくらいなんですけど、何かご質問が有ったらどうぞ。

渡邉
ありがとうございます。
プロデュース、コーディネート、コンサルタントのような、まさにプロダクトリングという企業形態で起業された山本さんです。