『藤井聡・表現者クライテリオン編集長日記』https://foomii.com/00178)からの抜粋

 

 

今、日本政府・岸田内閣が取り組まなければならない最も重大な最優先事項の一つが、能登半島地震の救護・復旧・復興であることは疑いを入れません。

言うまでも無く、そんな救護・復旧・復興のために必要なのは予算。

救援部隊を投入するのも、寸断した道を啓開するのも、破壊されたインフラを再構築するのにも、莫大な費用が必要となります。

実際、岸田内閣は、「能登半島地震の被災者支援のため、予備費の1000億円超の支出を月内に決定」すると同時に…

3月末までは23年度の予備費の残額約4600億円から賄うことを決定すると同時に、昨年12月に閣議決定した2024年度予算案の予備費5000億円を1兆円に増額する方針を打ち出しました。

 

こうした方針は、岸田内閣が被災地を見捨ててはいない、というメッセージとなりうるものと思われますし、事実、岸田総理自身はそういうメッセージを発しようとしていることは間違い無い事でしょう。

しかしながらよくよく考えてみますと、被災地対策の予算を「次年度の予備費」として決定する理由が明確ではないじゃないか、という疑念が浮かんで参ります。

実際、元財務官僚の高橋洋一氏は、これまでの大災害後では、政府は災害直後に「補正予算」を迅速に決定してきたという経緯を下記のようにとりまとめておられます。
 

1995年阪神淡路大震災…1兆223億円の補正予算を2月24日閣議決定
2004年新潟県中越地震…1兆3618億円の補正予算を12月20日閣議決定
2011年東日本大震災…4兆153億円の補正予算を4月22日閣議決定
2016年熊本地震…7780億円の補正予算を5月13日閣議決定
2018年北海道胆振東部地震…1188億円の補正予算を10月15日閣議決定(この際は、他の豪雨災害についての補正予算も同時に決定)

こうしたこれまでの各内閣の「慣例」に従えば、岸田内閣も「補正予算」を迅速に決定する事になる筈…なのですが、今回に限ってはどういうわけか「補正予算」を組むのでは無く、あくまでも「予備費」という恰好で予算を決定する方針を打ち出したのです。

しかも、その予備費も本年度のものではなくあくまでも「次年度」のものという打ち出しです。

こうした点を鑑みたとき、岸田内閣は迅速かつ大規模な予算執行に躊躇しているのではないか、という「疑念」が浮かび上がってきます。

そもそも予備費というのは、何に使うのかはあらかじめ定めないというもので、その時々の状況を勘案して、時の内閣が臨機応変に使途を決定する、というものです。

したがって、被災地のために大きな予算を組んだとは説明しているものの、その1兆円が本当に被災地支援や復旧・復興のために使われるかどうかは今の所定かではないのです。

実際、上記の様に岸田内閣は、今年度の予備費が今の所「4600億円」も残っているのに、能登半島地震の支援、復旧のために使用する予算として、決定したのは今の所「1000億円だけ」なのであり、残りの3600億円が被災地支援や復旧のために使われるかどうかは(筆者はもちろん、それがしっかりと被災地に投入頂く事を祈念していますが)全く決まってはいません。

岸田内閣は、もちろんこう問われれば「必要ならば残りの予備費も投入するし、必要ならば、来年度になれば、その予備費の1兆円から必要なものを支出する」と説明することでしょう。

しかし「必要」だと判断するのはあくまでも、内閣であり岸田総理なのであり、現場の行政組織ではありません。

したがって、行政組織というものは、「予算」として決められた範囲で、どういう仕事をするかを決定するものなのです。どれだけ「予備費があるから大丈夫だ」と言われようと、決定していなければ、救護や復旧等の行政決定を「ためらう」リスクがどうしてもでてきます。

すなわち現場の行政組織が「必要だ」と主張しても、岸田総理がそれを「認めない」リスクは当然あるのであって、少なくとも現場はそのような「懸念」を持つことは避けがたいものと考えられます。

ところが、「補正予算」の恰好で、何千億、何兆円という予算が被災地対策のために実際に国会で決定されていれば、少なくともその範囲ならば、最小のリスクで様々な支給が認められますから、現場が、現場の判断で様々な救護や復旧の行政決定を「ためらう」リスクが最小化されることになります。

そう考えれば、どうせ同じおカネを最終的に出すとするなら、「次年度の予備費」という中途半端な予算枠でなく、現場がすっきりとした気持ちで使用できる「補正予算」の形で予算枠を確保することの方が圧倒的に得策であると考えます。

そうでなければ、迅速な救護、復旧、復興ができなくなるというリスクが真剣に危惧されるのです。

繰り返しますが予備費とは、「何が起こるか分からないから、とりあえず予算枠を確保しておく」というもの。ですが今回は地震が起こっているのは「確定」しているのですから、その救護、復旧、復興のために予備費を使うというのは極めて異例であり、その予算制度の理念から逸脱していると言わざるを得ないのです。

詳しくは事後の検証に委ねなければならないでしょうが、少なくとも我々は、本来「補正予算」で組んでいれば実施可能であった被災地対策が「予備費」枠にしてしまったことでできなくなってしまう…つまり、あろうことか被災地対策という可及的速やかかつ大規模な水深が絶対的に必要不可欠な内容について「緊縮」的な態度で、対策が不十分に終わってしまう、というあってはならないことを、岸田内閣がやってしまう事が無いよう、厳しく、主権者である国民として監視していく必要があると、筆者は考えます。

李下に冠を正さず…岸田総理が「被災地対策に緊縮的態度で臨んでいるのではないか!?」という疑念を持たれることを避けたいのなら、予備費という本来の理念からかけはなれた予算項目でなく、これまでの内閣と同様に、補正予算をしっかりと組まれんことを、国民として強く要望したいと思います。

追伸1:本記事は『藤井聡・表現者クライテリオン編集長日記』https://foomii.com/00178)からの抜粋です。この『編集長日記』では、例えばこの一週間では能登半島地震問題に加えて、松本人志氏のスキャンダルの本質や、デフレについて深く考察した論説等を配信しました。