その前日、
乃木は参謀本部へ児玉に呼ばれて
出かけて行ったが、この時児玉は、

「おい、明日は参内の命令を
 受けているだろう。
 よっぽど有難い大命が下るのではないかと
 思うから、その覚悟で御前へ出ろよ」
と注意を与えておいた。

しかし乃木にすれば、老軍人の自分に
まさか第三軍の軍司令官という
輝かしい重任が下るとは
想像もしていなかっただろう。

それだけ乃木が国のために
尽くしていたことは
容易に想像出来たのだ。

第三軍が目指す目標は旅順である。

青山の陸軍大学に本部を設けて、
乃木は早速第三軍の動員にとりかかったが、
十日間で完了したので、
その報告に再び児玉を訪ねて
会談をおこなった。

性格も正反対であり、
特に台湾総督としては、
その手腕が両極端とまで言われた二人だが、
どことなしにウマが合うところがある。

しかし、二人が特に親密になったのは、
乃木が東京の第一聯隊長、
児玉が佐倉の第三聯隊長を
していた頃であった。

両聯隊は習志野でよく対抗演習を
やったものである。

この演習のある日、
白軍であった児玉は、
演習見物をしている百姓たちに
手拭いで頬被りをさせて
あちこち連れ回した。

これを見た乃木軍の兵たちは、
見物人を白軍と間違えて報告した。

そこで、乃木聯隊長は
その方へ兵を移動した隙に、
児玉聯隊はまんまとその本隊を
占領しているのである。

講評では、児玉聯隊七分、乃木聯隊三分
ということだったが、
ユーモラスな児玉は即興に、

“きてん(希典)きかない乃木つね(野狐)を
七分児玉で打ち上げた”

という歌を作って、
それを兵隊たちに歌わせながら、
いい気持ちで佐倉へ引き揚げている。

その頃から二人の親交は重ねられ、
児玉の賢さには、23年先輩の乃木も
一目置き、児玉も乃木の軍人としての
純粋さを高く評価していた。

朗かな児玉は、いつも律気な乃木に対しては、
駄々っ子のようなところを見せているが、
いざという時には、その人格に、
高い敬意を示しているのである。

その適例は、旅順攻囲軍の苦戦に陥った時の、
児玉の終始変らぬ乃木軍司令官への信頼と
支持にあらわれていると思う。