今日は僕の、忘れられない、この先も忘れることはない共演者のこと。
役者・米田嶺さん
愛称よねさん
尼崎ロマンポルノ
「ラブホテルジプシー」と
万博設計
「爆弾と海」 で共演。
爆弾と海では2人で作った、
お互い日本語で話しているのに全く違う言語で話しているとする、あの特殊なワンシーンは今でも忘れない。
俳優としてはとても異質。
僕は今まで他に出会ったことはないし、
これからもあまり出会わないタイプの俳優さんだと思う。
とても辛口で
けど守ると決めたものや人はちゃんと守ってくれる
きっぷのいい先輩だった。
この先もまた共演したいと思っていた。
それがもう叶わないと知ったのは
今年の2月3日。
よねさんが天国に逝ってしまったという電話は、出るまでもなく
同じく共演者の田米ちゃんからの着信履歴だけでわかった。
その頃には闘病も2年以上になっていて
よねさんのことを人一倍気にかけ、東京にいる僕にも情報をくれていた田米ちゃんからの着信だったからだ。
確か最後に会ったのは上京して最初の夏だからちょうど2年くらい前、僕が舞台で大阪に帰ったとき。
すでによねさんは病気と闘っていて
共演していた頃にはずっと見事な長髪だった彼が、まんまる坊主を誇らしげに見せてきて、一緒に呑んだ。
まだまだこの先も一緒に呑む機会はたくさんあるんだろう。
そう思わせてくれるほど彼は元気に振舞っていた。
僕はお通夜やお葬式のために大阪に帰ることができなかった。
突然のことであったから、とか
こっちでやるべきこともあったからとか
理由はいくらでも作れたけど
なんだか自分が行っていいものかわからなかったから。
東京で忙殺されてるうちによねさんのことを考える時間なんてほとんどなかった。
はっしーさんやまこっちゃんや一緒に作品を作ったメンバーに会ったときに近況を聞くときだけ胸を痛めて
ひとりのときに西にいる彼を気にかけなかった自分が、いなくなったのを知って初めて悲しむなんてそんな資格があるのかわからなかった。
今日6月9日
大阪のウイングフィールドで
よねさんの追想、偲ぶ会が行われている。
何人かからお誘いいただき
SNSでもイベントの準備や企画の様子を拝見した。
そこにはイベントのために用意されたたくさんの写真。
その中に、僕は、いた。
胸が潰されそうになった。
僕はいたんだ。あのウイングフィールドに。
僕の青春によねさんはいた。
よねさんの演劇人生に、僕は。いた。
よねさんの演劇に対する重い、熱い覚悟。
よねさんの命。
それを背負い込んだふりしてこの先の演劇人生歩いていく。
そんなことはしない。
だけど。だけど。
今日も僕は東京にいる。
きっとウイングフィールドにはたくさんの人が集まっているだろう。
故・松田優作さんは
「人間は二度死ぬ。肉体が滅びたときと、みんなに忘れ去られたときだ。」
と言ったそうだ。
そうなら米田嶺はまだまだ死なない。
元気な演劇人がたくさん彼を見た。彼に感化された。僕もそのひとりだ。
よねさん、僕は今日もお芝居をしますよ。
けどその前にちょびっとだけビール飲んで行くね。
西を向いて。
献杯。












