戦前の硫黄島の風景はどんなだったのでしょうか?人の入植前の千鳥ヶ原はタコノキの群生だったようです。大正時代に開墾しサトウキビ畑になり現在は、ギンネムとイネ科植物が生い茂り一見、草原のように見えます。
ハマナタマメのかわいい花が沢山咲いていました。マメ科植物なので、美も生ります。ぷっくらとしたソラマメのような実が生っていた。
トケイソウの花と実
ちょうどこの時期が実の時期なのでしょう所々で見かけました。
食べるところもほとんどない。 中身を見るとやっぱリパッション!!
これは、オキナワウラボシでいいのか?、父島では見かけないシダ植物も場所により生い茂っている。
他に、目についたシダはオオタニワタリとヤンバルタマシダあたりか、ゆっくり観察はできないので他にもあるのでしょう。
平和祈念会館でお弁当を食べていると、サソリがいるとの声 行ってみると、いたいた『サソリ』いるのは知っていましたが、初めて見ました。
お弁当の後は、自衛隊さんの運転してくれるバスに乗り島内視察へ出かけます。タイトなスケジュールで、次から次と移動していきます。天山へやってきました。海軍北地区の指揮所になっていた天山壕の上にあります。
ここは日本軍戦没者の慰霊碑の他、納骨堂もあります。遺骨収集が行われ本土へ帰るまではここの納骨堂に納めます。 献花をします。
海軍204設営隊の釜場 大きな竈に今も鉄製の鍋が残っている。このような竈や鍋は、父島や聟島にもあります。
鎮魂の丘です。碑の後ろには摺鉢山
日米すべての戦没者の慰霊碑です。天山は島の北部こちらは南部になります。南地区隊の戦闘指揮所になっていた粟津壕の上に作られています。 ここも献花をします。
さらに南の摺鉢山、山頂からみた南海岸(右側)と西海岸(千鳥ヶ浜) 1945年2月19日B-29の大編隊による空爆と沖に集結した艦隊による一斉射撃が全島を襲い、南海岸から上陸用舟艇が一斉に突進してきた。