台風1号と硫黄島三島展 | 小笠原のエコツアー 小笠原旅行 小笠原観光 小笠原ガイド

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台風1号は、衛星画像の雲の写真http://weather.asahi.com/gms/index.html を見るとすでに小笠原の東の海上に抜けています。(防災小笠原では、昼頃最も接近すると言っている)現在は、風も全くありません。雲はかかっているようです。霧も濃く、我家から旭山の姿が全く見えません。

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ビジターセンターにて、硫黄島三島展を開催しています。7月くらいまで開催しているようですので、来島の際は、足を運んでみては如何でしょうか!私の写真も4点ほど使われているはずですが、どの写真か自分でも良く分かりませんでした。
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硫黄島は火山列島と言われ、現在でも火山活動が活発な島々です。北硫黄島、硫黄島、南硫黄島と三つの島からなります。北硫黄島の最高峰は榊ヶ峰(792メートル)、硫黄島の最高峰は摺鉢山(169メートル)、南硫黄島の最高峰は916メートル(島自体がひとつの山?)で東京の島嶼で一番の高さがあります。


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北硫黄島には、戦前には定住者もあり、強制疎開時の人口は90名ほどでした。島には、二つの村があったようです。急峻な地形の反対側に二つの村があり、学校のあった村へ反対側の村から登校していた子供達は海岸線を歩いていたようです。私も歩いてみましたが、とても子供が登校できるような通学路ではなかったです。山頂付近に三万坪と呼ばれる平らな場所があります。そこに戦前は、牛がいたようなのですが、そこまでどのようにして登っていったのか不思議です。途中には、これ以上登れないというような壁もあります。私達はザイルを用いてようやく登りました。牛は、どうやって登っていったのですか~? 最高峰の榊ヶ峰からの眺めは最高でしたが、南硫黄島に比べると、海鳥の姿もなくちょっと寂しかったですね。戦後この山頂に立ったのは、どうやら私達が始めてのようです。 今年は、皆既月食が注目されています。北硫黄島付近まで行く船が多いことでしょう。


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硫黄島は、太平洋戦争で激戦地となった場所、島の形も変ってしまったほどです。戦死者アメリカ6821名 日本20129名(この中には、私の伯父も含まれている)現在も遺骨収集が行なわれているがまだまだ多くの遺骨が残されています。詳しくは、硫黄島協会へhttp://www.iwo-jima.org/


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南硫黄島、916メートルもの標高があり、海岸線は、ほぼ垂直の壁になっていて上陸したとしても島を登っていくのは、ほぼ不可能!!また島の何処にも真水がないようである?よって定住者がいたこともない。島自体が国の天然記念物に指定されており、1975年には、日本で初の原生自然環境保全地域にも指定されている。この島は、とにかく海鳥の楽園です。海岸線から山頂部まで何処にでも、海鳥達が営巣しています。また、不思議な事にオガサワラオオコウモリが、昼間からブンブン飛んでいます。このときの調査はいくつもの番組で放映されています。

サイエンスゼロhttp://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp187.html

ダーウィンが来たhttp://www.nhk.or.jp/darwin/program/program134.html

大自然ロマン 地球のたびhttp://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090808270030163/

などです。


この三島を自分の目で見たい方は、年に一度おがさわら丸で、硫黄島三島クルーズを行なっています。

こちらに是非、ご参加ください。(9月か10月に今年もあると思います)私も解説員として乗船いているかも?