みんなの助けで肺がんを乗り越えた
強運の50代おっさん!
精神疾患と闘病中
♥ヘルプマーク♥の家族を救うため😤
世界の平和を守るため🏍️💨
ゴーゴーレッツゴー!
おもしろおかしく☺️活きます!
みなさん、こんばんは🌙
レアボイルドです。
不定期連載二回目です。
2004年1月。
私は毎週高速を飛ばして、息子が待つ病院に通っていました。
形式だけの休日を、きっちり取りました。
休日取得は暗黙のタブー。
これを破ればどうなるか承知の上でした。
実際、のちにここに書けないような嫌がらせを受ける事になるのですが。
いえ、ひとつだけ書きましょう。
11時間直立不動で説教を受けました。
仕事とはまったく関係ない内容の、ひたすら人格を否定するというものでした。
病院に着くと、ウェアを着て無菌室へ。
制限時間の中で、保育器の中で眠る息子の手に、手袋越しに触れました。
私の親指を掴んでくれるはずの小さな手。
その手はまだ動きません。
依然として危険な状態は続いていました。
妻は実家で静養しつつ、母乳パックを作って日々病院に届け続けていました。
赤ちゃんの一番の栄養源は母親の母乳。
母乳の出が悪い妻は、かなり苦しんで用意していたそうです。
ある日、私は人形を使っての入浴のトレーニングを受けました。
筋がいい。
看護師さんの言葉に涙が出ました。
そんな日を夢見て闘志を燃やしました。
高速での往復がある関係上、病院にあまり長く留まる事はできませんでした。
まして、首都高は時間が読めません。
ゆえに帰宅は深夜になりましたが、寝る間もなく息子の病状に関する事を独学で進めていました。
この時点での治療方針は、息子の脳機能が確立できるまで命を繋ぐ事。
胎内での低酸素状態が続いた事により左脳が死んだ状態になっていて、現状では自力で身体の器官をコントロールできない。
死滅した脳細胞が回復しないのは大人の話で、赤ちゃんに限っては成長に伴い脳細胞の増殖が可能なのです。
そこに賭ける事になりました。
仮に命を取り留めたとしても、脳の完全な回復は困難を極める。
何らかの障害は覚悟してほしい。
いや、間違いなく障害は残る。
その覚悟はあるか?
医師の問いに、私は大きく頷きました。
医師は続けます。
親の覚悟が足りなければ家庭は崩壊する。
虐待に走る親もいる。
そんな親をたくさん見てきたそうです。
再度医師に確認されても、私の決意は揺らぎませんでした。
私は絶対に息子を見捨てない。
さびしい思いはさせない。
いつも笑顔にしてあげる。
息子との誓い。
それは、私が最強の父親になる事でした。
正直思い出すのはつらいので、どこまで続けられるかわかりませんが、不定期に綴っていきます。
同じような状況の方、体験をされた方に少しでも力になれれば嬉しいです。
レアボイルドでした。