昨日、一昨日の朝日新聞に、暫く振りで「だめ連」の文字を見る。

 30数年前にバカダ大学の学生だったボンディも、実はこっそり だめ連の仲間だった、という話。

 
 80年代後半の当時でも、バカダの内外には学生運動の名残りが壁の染みのように残っていて、ボンディのまわりにも、セクト系、ノンセクト系の左翼の同志達がぽつりぽつりといて、その何人かは仲の良い飲み仲間でもあった。

 その、飲み仲間のふとした戯れが、さらに多くの仲間の興を得て、時代の風も受け、いっときは大きめの打ち上げ花火にもなり、それらを社会学者に取り上げられもしたようだ。

 でも、中にいた一人としてボンディが見た限りでは、何ら組織めいたものではなく、そこは出入り自由の気楽なコミュニティーでしかなかった。

 彼らが言う「だめな人」とは、社会から与えられたレッテルというよりは、鏡の前での自己自認でしかないのだけれど、だからこそ尚更、社会不適応な自分、足りない自分、滑らかでない自分を卑下しつつも、そこで終わらせずに、「だめでもいいじゃん」「だめって言える自分でいいじゃん」と開き直り(或いは、虚勢を張って)、「だめな」者同士、優しく肩を抱きしめる、そんな小さな「ぬくい」繋がりの場所だった。

 そこには、ノンセクト系の左翼の他、アナーキスト、デイドリームビリーバー、飲み屋のおネイちゃん、今のところのサラリーマン、看護婦さん(当時の呼称)、学生、フリーター、プータロー、ヘビーなリストカッターなどなど、能力、出自、性、外見、過去などのいずれかの社会的自認に、何らかの困難を抱えた者たちが集っていた。

 一方、仙台という地方都市からやってきた「腐れボンボン」の若きボンディも、それまで本だけは読み漁っていた挙げ句の「知識偏重経験不足」の典型で、自分の嗜好的偏り具合や能力群のバランスの悪さやらが相まって、結果、世の中に斜に構えてみせるような有様だったので、彼らから受ける「だめでもいいよ」の癒やしシャワーは、時に心地良く、時に煩わしくもあり、バイトをしてお金が貯まるとぶらりと何ヶ月か海外を放浪する一人旅の行き帰りに、ふらっと立ち寄るバーのカウンターと客、みたいな関係が何年か続いた、と記憶している。

 学生時代の後半、バカダを出た後、どうやって暮らしていくかを考え始めた時、これまでの旅の思い出の中から自分の憧れを抽出して、「里山で農業をしよう」と思い立った際に、両親をはじめとする血縁者たち、当時師事していた大工の親方、クラスメートなど、みんなみんなに猛反対されたけれど、だめ連の連中だけは手放しで喜んでくれたように思う。

 そうしてみると、これまで詳しく見つめたことはなかったけれど、ボンディの心の中には、だめ連的有り様にシンクロするような志向性が何かしらかあったのかもしれない。

 
 さて、ボンディは学生の頃から、人生は旅だと思ってきたし、今もそう思っている。

 旅を続けたくてお百姓になった、という言い方が、一番的を射ているかもしれない。

 「月日は百代の過客にして 行き交ふ年も 又旅人なり」

 ボンディが学生時代を送っていた時代から30年、日本はますますしがらみが強くて生き苦しい世の中になったように感じる。今では少々きな臭くすら。

 
 であるなら、今この時、ボンディから、若い君にも、年取った君にも、伝えたい。

 「だめ」でいいんだよ。「だめ」を否定せず、そこから始めれば、必ず道は拓かれるのだから。

 ボンディは、自分の好き嫌いも、自分の得手不得手も、それら全部認めて、自分の「好き」だけで生きていこうと決めたお陰で、今の生活を手に入れたんだ。

 君にも出来るよ。

 さあ、一緒に旅を続けようじゃないか、だめな者同志で♡