人はただ生きるために生きているのではありません。 その生の中で、手応えを得たり、喜びを得たりしたくて、生きているのです。
ですから人は、その暮らしの中のそちこちに喜びの種を配置して、自らを喜ばせる工夫を施すものです、その暮らしぶりがどのようなものであれ。
ボンディは、自分の屋号を冠したアカウント名にも関わらず、自身の商売の営業投稿に留まらず、人の暮らしの全方位に向けて、テーマを絞らずに書きたいことを書くという姿勢でSNSに望んでおります故、今回は「お花屋さん」の話をさせて頂きますね。
近所のお花屋さんで気に入った花のいくつかを選んで、おうちのリビングに飾る
お墓参りの時、霊園のそばのお花屋さんに寄って、すでにアレンジされた花束を買って、墓前に供える
家の中に植物を配置する、その作法と歴史を知りたくて、生け花を習う
どうせ習うなら、日本の侘び寂び、っていうより、あたしは西洋的なフラワーアレンジメントの方がいいわ
家の中に花を置くことが何故、喜びの種になるのか、はてさて、皆さん、お考えになったことがありますか?
植物にとって花とは何か?
植物とヒトとの関係性は?
では、古今東西、ヒトはその衣食住に何を求めてきたか?
それらの解が有機的に絡み合って、現代日本にこれだけ沢山のお花屋さんが存在するのです。
それらの問い掛けのほんの一部、「花は何故『美しい』か」について書いた、以前のボンディ投稿がこちら↓
人にとって、花は、シンボルであり、メタファーであり、モチーフであり、キエチーフである、ということです。 分かりにくいでしょうか。
もし端的に言うなら、人はそれだけ「心の奥底から」花に魅せられてしまうものだ、ということになりますでしょうか。
さて、知り合いのお花屋さんのご紹介です。
仙台中山の「トレフル」さん。
義理の姉が、オーナーの高橋さんのお手伝いをしていることから知り合って、幾度かボンディの実家などにお花を届けてもらっています。
先日、義理の姉を挟んで、稲わらを手に入れたいと相談され、近所からもらって届けたところ、昨日、高橋さんからお正月飾りが送られてきました。
彼女のアレンジは、ボンディがイメージする、巷のお花屋さんのオーソドックスなものに対し、どこかに思いがけない差し色が入っていたりして、いつも新鮮で目に楽しいものです。
耳が少しお悪いらしいので、ご注文の際は、ホームページのフォームからか、インスタのDMなどから承っていらっしゃるようです。
トレフルさんのホームページがこちら↓
又、トレフルさんのインスタアカウントがこちら↓
(因みに、トレフル trefleは、フランス語でシロツメクサのことです。トレフルさんのロゴにはアクサングラーブは付いていません)
貴女も、新しい年を迎えるためのお花でもご注文なさってみませんか?
「あなたとお花、どんな物語がありますか」
ボンディがこの世で一番好きな花は、ハコベの可憐な白い花です。 畑にいくらでも咲いているので、残念ながらお花屋さんで買うことはありません♡