(chapter1より続く)
違う視点からも見てみましょう。
「美味しい」とは、端的に申し上げて、たべものを摂取した際の、肉体が「よろこぶ」感覚に対して発せられる形容詞です。
但し、視覚に錯覚が起こるように、味覚もそのシステム上、度々錯誤を生じますので、注意が必要です。 ここでは、その説明を簡潔にしてみようと思います。
「美味しい」という形容詞の成立条件には、主に以下の四つの「背景」が関わっております。
①生理的背景
食べる際の身体的状態です。食を愉しむだけの肉体的、精神的状態にあるかどうか、腹が減っているかどうか、など。
②文化的背景
今まで何を食べてきたか、何を食べさせられてきたか。 生い立ち、家族構成、住まう地域性、時代性、と、ここには様々な要素が連なっています。
③シチュエーション的背景
食べるにあたっての様々な情報。何処で、誰と、何を、どう食べるか。 そして、食べものについての情報は、メディアから? お店のスタッフから? ネットで? 自身の過去の経験から? などなど。
④「脳内報酬系」的背景
美味しさを感じさせる要素、「脂」、「糖」、「出汁」などの掛け合わせの処方箋。 即ち、肉汁たっぷりの餃子や、脂身たぷたぷのチャーシューの載った豚骨ラーメンを食べると、脂×糖×出汁の三重奏の結果、ドーパミンがどぱーっと溢れでちゃう、という「だけ」の話です。
ここで、最初の問題提起に戻りますが、狩猟採集民、自給自足の民でなければ、上記③と④について、現代社会では必ずやギミックが仕込まれていますので、ここにだけは気を付けていなければなりません。
世の全てのギミックが悪いとは、無論、ボンディは申しません。ギミックに長けているべきことは、現在のビジネスの常識でもあるでしょう。
しかし、ギミック由来の「美味しい」は、本物の「美味しい」とは、何の縁もゆかりも無いことは理解しておかれた方が賢明です。
ボンディは、その商売柄、飲食店の厨房の裏事情まで知っているので、人様のご商売に易易とコミットしてしまうため、それらギミックについて、あれこれとは申し上げられませんが、一口食べて「美味しい」と言わせるのは簡単なこと。
でも、食べた時は、他の皿に紛れてなんという風でもなく平らげてしまったのだけれど、次の日の朝目覚めて、「あぁ、昨夜食べたリゾット、又食べたいものだなぁ」とふんわりと思ったのなら、それこそが、貴女にとっての、本当の「美味しい」、なのですよ。
ボンディの長年の友人に、そんなリゾットを当たり前に作る料理人がいます。 イタリア愛にのめり込んだ結果、料理人になった変態野郎ですが、時期が来たら、今度皆さんにご紹介いたしますね♡ (repost)