秋ふかし。

 木曜朝の強い霜で夏の草が枯れたので、ボンディの畑でも風景が一変しました。

 今週半ばに初霜が降りるだろうと、前々から見当をつけていたので、ナスものや貯蔵用の里芋、さつまいもの収穫は事前に済ませることが出来ました。

 ヤーコンの葉も霜枯れしたので、昨日は、ヤーコンの根元まで草刈機で細かく茎葉をカットして、掘り取りの準備にかかりました。 掘り取り後は、防空壕跡の洞穴で里芋の隣で ひと月ほど追熟貯蔵の後、出荷を始めます。

 ボンディヤーコンは糖度が高く、香りが特に良いので、取引先の飲食店の中には、摺り下ろしてスイーツに仕立てるお店もあります。 我が家では娘達が喜ぶので、スティック状のヤーコンのフライをよく食べますよ。

 
 さて、今回は、ヤーコンの話ではなく、田んぼの話をしたかったのでした。

 ボンディのヤーコンの畑のお隣りは、ベコ飼いのおじいさんの田んぼ。

 ボンディが里芋、さつまいも、ヤーコンのおいも三兄弟を掘っている頃、おじいさんの田んぼでは、脱穀が終わった後の稲わらを干す、「干し藁」の風景が拡がります。

 刻んで飼料に混ぜたり、敷き藁にしたり、など、極端な少数派になってしまいましたが、今でも畜産農家の方を中心に、藁も大事に利用する農家さんがいらっしゃいます。

 いただいたものは 余すところなく、全ていただく。

 お米も、稲藁も、籾殻も。

 何事かを「もったいない」とか「ありがたい」と思う精神風土が、この国の数百年の安寧をもたらしました。 この国の平和は、決して徳川家の仕事なんかではありません。

 写真から、是非、おじいさんの手仕事の美しさを感じて下さい。

 おじいさんはきっと、美しさなんてちっとも求めないで藁を置いていったのでしょうけれど、彼が永年行ってきた、干し藁の仕事の、その熟練の度合いが、立てた藁の、その角度、藁の山と山との間隔、田んぼ一面の中での、藁の山の密度感、、、ボンディの目から見ると、実に塩梅が効いていて、絶妙です。

 必要を合理でもって、体のみを使うと、こんな仕事になります。 機械では、整いはするものの、見るべき妙というものを失うことがほとんど。自然のリズムを持ち得ないから、です。

 毎年、おじいさんの干し藁を見ると、ボンディは、柳宗悦の「民藝」を思い出します。