まで論。 

 無論、山形鶴岡の「アル·ケッチァーノ」の奥田政行 氏の本、「ゆで論」のもじり、かつ、去年の夏に書いたボンディ投稿を修正した、リニューアル投稿でもあります。

(この稚拙な投稿を、先日の畑イベントでお会いした、ご自宅で庭仕事と畑仕事を楽しんでいるという、EN Yanase さんに贈ります)

 

 ボンディの好きな言葉に「まで」という語があります。「迄」と違い、「で」にアクセントがある、東北弁としての「まで」です。他の地域では、濁らずに「まて」と読むようですが、その意は、人の仕事の丁寧な様や、人付き合いでの細やかな心配りなどを指していて、ひいては人柄についても「あの人はまでな人だ」などと使います。 

 宮沢賢治が手帳に残した散文詩、「雨ニモマケズ」はボンディも大好きな詩ですが、あれを読むとボンディはいつも、賢治は、までな人になりたかったのだなと思わせられます。
 
 ボンディが本当に小さかった頃、ご飯を食べ終える時に茶碗に残っていた数粒のお米を見て、祖父が「ご飯粒を一つでも残すとお百姓さんが悲しむんだよ。」と常々教えてくれたのも、までであることの大切さを指し示していたものだったのでしょう。
 
 「まで」とは、標準語で言うところの「丁寧な」様ばかりでなく、日々の実直な積み重ねや身近な人や物への心配りなど、きめ細かい、日々の努力を表した表現だとボンディは思っています。

 ボンディは若い頃、文字通りの意味で死にかけた事があり、それ以前よりかは命のかけがえの無さを知っているつもりでおります。「生きる」とは、物心ついてから死ぬまでの間織り続ける、織り物のようなものとボンディは思っていて、ボンディが人生を賭けた、その織り物も又「まで」であって欲しいのです。その織り物の、たて糸は「わたし」、よこ糸も「わたし」。正確に言えば、「あなたの存在を媒介とした私」ですけれども。

 ボンディも人間ですから、好き嫌いもあるし、疲れている時もあるし、どうしても理解出来ないものもありますが、「まで」に生きていく気持ちだけは常に持っていたいと思います。 
 
 今日一日、ボンディは、夫として、父親として、隣人として、園主として、生活者として、現代人として、「まで」であったか? いつも試される日々です。又、そのことを心から嬉しくおもう日々です。

 もう一つ、Aさんの「まで」は、その側にいるBさんの「まで」を生みます。良い循環ですね。これからも、ボンディは、日頃身近な方達から頂くそれぞれの「まで」に、ボンディなりの「まで」でお応えしていきたいと思っています。

 因みに、「まで」、「まて」の語の由来は、「真手(両手が揃っていること、又は、真剣での稽古)」、或いは、「真丁(真に丁寧な様)」です。日本人らしい感覚と言えるでしょうね。

 
 さて、下の写真は、ボンディも参加した、今年2月の「アル·ケッチァーノ石巻」での企画ディナー(あの、地震の夜のこと!)の翌日、仙台向山の「KUROMORI」でのイベントのための仕込みをしていた、奥田さんとのツーショット。

 今年52歳の同い年、なんだけどなぁ。