哲っちゃんで~す。

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M・Heidegger

ハイデガーは存在について真剣に考えた数少ない哲学者の

一人であるという。

そもそも、いま僕達がここにいるってなんだろう?

今手で触れているマウスやキーボードは

目では見えるし指で触れている。

視覚や触覚のしくみについては生物学が説明してくれる。

そういったしくみは他の言葉に置き換える事ができる。

けれど、生物学は「なぜ」に答えてくれない。

宇宙のしくみも同じ。地球の物理的なしくみに関しては

物理学が答えてくれる。けれど、「どうして今の地球があるべき」

なのかは、誰も答えてくれない。



どうして死ぬのか、ということは逆にどうして生きているのだろうか

という所に辿り着く。

結局、「なぜ」という問いかけは表裏含んで、哲学に行き着く。

それを簡単に答える事は勿論出来ないけれど、

哲学者にとって究極の問題に対し

真摯に向き合ったマルティン・ベハイム・ハイデガー。



やはり、ハイデガーなしにはありえない。

道徳形而上学原論 11


文化祭のオヤスミが終わって、

久々にブログを更新するhusazouです。

中々進まなかったけど、

まぁ、ゆっくりやっていきたいなぁと^^;


すいませんm(_ _)m



理性は意思の支配者として建てられたが、それは自然による

誤算ではなかったか、その観点から我々の考えをみる、

という所からでした。

さて、ここで有機的存在者と言う概念が出てきます。

有機的存在者とは、自分の生活を合目的に営むように仕組まれた

 存在者の事であるが、このような存在者に与えられている

 自然的素質について、我々は次の一事を原則として承認したい、

 すなわち―かかる存在者に備わっている道具は、すべてなんらかの

 目的に最もよく適応し、またその目的の達成に

 最も便利なものしかない、ということである。」

 有機的存在者は、合目的、つまり目的どおり歩むために

 された存在者と言う事です。

 そして、このような存在者が持っている道具=能力?は

 何らかの目的に役立つ物でしかない、ということ。

 更にカントはこれを踏まえた上で以下のように言います。

 「理性と意思とを備えた存在者[人間]の保存と安寧」

 つまり、理性と意思を備えた人間の幸福が、自然の本来の目的とすれば、

 このような存在者に理性を与えたのは自然の拙策=ちょっと間違った

 ことをした、と。



 なぜか。彼はこのように補足する。

 こう言った人たちが、幸福を得ようと行動を起こしても、理性によるより

 本能によるほうが的確に行動でき、確実に達成されるだろう、と。

 幸福を得ようとすることは、理性よりも本能によって動くほうが良い、と言う事を

 カントは言います。

 (-_-;ウーン

 どうでしょうか。でも、いざと言うときは自分の勘に頼るしかないと言うのも

 事実であったりするし・・・。


 
 さて、理性より本能のほうが幸福を求めるときは頼れる、とカントは

 言いましたが、それならば。

 何故理性的存在者は「存在する」のでしょうか?

 
 「それだのに理性がこの恵まれた被造者に付与されて、何かの役に立たねば

  ならないとしたら、それは彼が自分に備わる素晴らしい自然的素質を

  つらつら眺めて驚嘆したり、またかかる素質を心ゆくまで享受したり、

  更にまたこれを与えてくれた自然という親切な原因に

  感謝するためであって、彼の欲求能力を理性による

  劣弱で当てにならない指導に
従わせて、自然の意図に

  無用の手出しをするためでなかったに違いない。」



  だいぶ長い文です。

  「彼らは、自分達に備わる素質に驚き、

   それを活かし、与えてくれた自然に感謝する
ために存在するのであり、

   自然の意図に反する事をするためではない。


  ということでしょうか。


  ちょっとキリスト教的な影響が見られる気もするんですが。



  なかなかカントのいうことをつかむのは難しいですね(-。-;)

  
けれども、自分自身の思索のためにカントの手助けを借りて・・・

  これからも続けていきたいと思っています。


  P26後半

Schuman

HMVに行くと、時たまシューマンも聞かなきゃなあと思って

買う予定のないCDを手にとってしまう。



家に帰ってきて、Mp3にして、再生すると

やっぱり何か退屈な気がする。

そして、すぐ他のCDに変えてしまう。



僕は、何故だかわからないがシューマンと相性が悪いようだ。



友人が、僕の音楽性について指摘した事がある。

「お前ってさ、理屈がある音楽しか聞かないのな」

それが正しいかどうかは解らない・・・。



ただ、僕が言えることは、僕は音楽に意味を求めているということ。

長編小説を読むように、そしてそれを何度も読み返すような、

「深い」曲が好きなようだ。



シューマンには意味がないのか?

そうともいえないだろう。

しかし、おそらく彼の作った曲が含む意味は、僕が求めるそれとは

違うのだろうと思う。



いや、単に好みの問題かもしれない・・・。

シューマンが好きな方は是非その魅力を教えていただけると幸いです。

プレゼンテーション

哲学とは無関係なのだが、一般教養の授業で

プレゼンテーションをやる事になって相当気合を入れて

準備してた。

発表の一週間前だった昨日、授業の前に教授の所に行くと

今日発表だよ。


・・・・



Σ(゚Д゚;エーッ!






・・・大して準備が出来なかった。

しかも授業の最後だったから、あまり時間も使えなかったorz

そして、内容も評判が悪かった

こんな事ならまじめにやんなくても良かったかもしれない・・・。

と、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかないのだけれど。


疑似科学とは 3

科学は反証できる・・・これは大事なことだが

それと同時に、科学は上積みがあるということも大事だ。

疑似科学は主観に偏っており、科学のような知識の蓄積

起こる事もない。





疑似科学は世の中に溢れている。

もしかすると、このブログも疑似科学であるかもしれないw

反証できる、上積みがあるブログを目指したいw


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