本日、平成26年12月27日、またもやサボっていたラスト診察日記を書きたいと思います。

10月27日だったでしょうか、Hくんにもう一回だけ来てと言われた最後の診察へ行って来ました。
やはり、待ち時間少なく快適。
もう採血もないので、顔見ることなく内診。

相変わらずでした、Hくん、どうですか?もなかったような記憶があります。
ちゃちゃっと診察して、すぐに隣の部屋に呼ばれました。

もう大丈夫です、と。
それだけ。笑
また一年後に卵巣が腫れたりしてないかだけ調べに来て、とのこと。
あっさりです。
で、聞きました、もう子宮頸癌の検診受けなくてよいのですか?って。
私としては、子宮や頸部を摘出しても、もしかしたら膣と頸部の境目辺りで何かが残ってて悪さをするような可能性もあるのかなと思って聞いたのですが、こちらもあっさり、必要ないです、ということでした。
なので、婦人科系は卵巣の様子と乳癌のチェックでよいと。

そんなわけで、私の高度異形成による子宮摘出は、発見の6月から最後の診察10月までの約5ヵ月でひとまず終わりました。

その後、子宮摘出による後遺症のようなものは全くありません。
年齢的に40代半ばなので更年期障害も出てきていると思います。
イライラしたり、身体が怠かったり。
でもこれは手術とは関係のないものと考えています、術前からあったことなので。
また、卵巣があって幸か不幸かまだ働いているので、排卵期や生理前と思われる頃にはしっかりしんどい症状が出てきます。
けれども子宮が無いおかげで出血しないので、それはそれは快適です!
不謹慎と思われるかもしれませんが、生理の時が本当に辛かったので、PMSはあるものの出血と痛みから解放されただけで、本当に楽になり嬉しいです。
さっそく温泉にも行きましたし、今日はスキーにも。
もちろんどんなことも子宮があって、生理が来てもできることばかり。
だけど、旅行やスポーツって、やっぱりしんどい時は避けたくなるものです。
生理の辛さって、本当に重いものです。
それらから解放されただけでも、私にとってはよい選択だったと思っています。
そして、Hくんなりの見解で検診は必要ないとのことでしたが、何かの折に検診も受けてみるつもりです。検診する部位が無いのですが、私なりに気になるので。笑

さてさて、これでこちらの記事は一息つこうと思います。
実は波瀾万丈?!の人生で、書きたいことはいっぱいあるのてすか、仕事が忙しく家庭や子育てもあり、現在手一杯^^;
また暇を見つけて何かをUPしていくことができたらなぁと思っています。

子宮摘出日記を読んでくださった方、ありがとうございました!


とんでもなくご無沙汰してしまいました。
No.22をアップしてから1ヶ月以上が経っています。
忙しさにかまけてアップが延び延びになってしまいました。

さて、出血から1週間後の診察からさらに3週間、9月24日に再び診察へ。
なんとびっくり、この病院へ来てから初めて長時間待ちました。
予約時間に行ってから呼ばれるまでに40分程かかりました。
どこの科も患者さんが多かったようです。
我が町から車で一時間ちょいかかるので、誰にも合うこと無いだろうと思っていたら甘い。
隣の科と待ち合いが同じ場所なのですが、息子のクラスメイトのお母さんに遭遇。
私、来月には妊娠しているかもしれません。笑
それくらい田舎って噂好きなんです。

待ちに待って呼ばれました。まずは内診。
カーテンの向こうからHくん、その後どう?と。
私、出血してないです、おりものはありますけど。
いつものように内診して、Hくん、まだおりものあるからお薬入れときますねと。
そして隣の部屋で話を聞きます。
主人も一緒でした。
前より良くなっています。が、まだ糸が見えるのでもう一回だけ来てくださいとのこと。
そして10月の終わりに予約を入れました。
ここでまた不思議に思っていたことを質問。
腹腔鏡での手術、外から見た傷はお臍の中に一つ、お臍の両サイドに1㎝未満の傷が一つずつあります。
その傷が本当に小さく、キレイなんです。
ここまで小さい傷だから、もしかして縫わずに自然にくっつくのだろうかとも思い、聞いてみました。
もちろん縫っているとのこと。
腟側から縫えるわけもなく、やはり外から縫っていると。
ちゃんと一本線になるような縫い方があるんですね、関心します。
引っ掻き傷程度の傷です。
まぁ、今さらどんな傷が残っても気にはならないのですが。
帝王切開の横15㎝程の傷がど~んとありますからね、縦でも横でも何でも来い!って感じです。
けれど若い方ならやはり気になるものでしょう。
でも傷の心配はご無用です。
若ければ治りも早いし、すぐに目に付かない程度の存在になるでしょう(個人差はあると思いますが)。
Hくんも、ビキニも着られるよ♪って言ってました。笑
いやいや、今、この体型でビキニなんて着たら捕まりますから。

術後約2ヶ月半、最近は身体も軽く、もう手術したことを忘れています。
その時が過ぎてから、9月の終わり頃に気付いたのですが、少しずつ家事にも手が出るようになってきました。
術後仕事復帰してからは特に主人に甘えていました。何もしないわけではなかったのですが、やはり疲れているのか何となく怠くて、帰宅してからの動きが鈍い。
けれど9月の終わり頃に気づきました、自然と家事の範囲が広がっていました。
同時に主人も手を抜いて来るわけですが。笑
そして不思議なことに9月24日の診察以降、血液が混じったおりものも無くなりました。
翌日から急に普通のおりものに。
しばらくは、また出血するんじゃないかとビビっていましたが、今はもう忘れてしまっています。

さてさて、約2週間後に診察に行って何もなければこの子宮摘出話も一通り終了となります。
最後はきちんと診察日にアップするように努力します。笑

続く~









今、気付きました。
No.19のタイトル、残念なことになってます。
高度異形成の成の字が抜けている。笑
失礼しました。

さてさて、次の診察日までに約2週間あるので、もう一つ具体的な病気の話ではなく、気持ちのお話を。

6月2日に検診を受け、その結果の連絡があってから今日まで3ヶ月半。
この病気を怖いと思ったことは一度もなかったように思います。
かかってしまったものはどうしようもない、対処しよう、そんな感じでした。
どのステップでも、では次、さらに次っという感じで今進みました。

ただ、一度だけ、手術中に命をおとし、目覚めることがなかったら~と想像した時、涙しました。
主人のいない夜です。

何故泣いたか。
子供の成長を見ることができなくなる、想像すると辛かったです。
そして、8才の息子の行き場所がどうなるのだろうと考えると、これも辛かったです。

いずれ詳しく書こうとは思っているのですが、今の主人とは再婚です。
息子を連れての再婚。
だから、私が死んだら息子をどうするか、そこも手術までに考えました。
主人は二人とも自分の子として育てると言ってましたが、彼に息子を押し付けてよいものか。
子供が二人いるより、一人の方が彼も再婚しやすいだろうし、ましてや血のつながりも無い子、果たして色んな意味で主人が育てていけるのか、主人にそこまで任せて良いのか等々、私が突然消えてしまった時のことを考えました。
もし、息子が主人と暮らさないことになったら、息子は何処に。
私に親権があるので、私が死んだら息子は前の夫のところではなく、私の両親が育てるという流れになるそうです。
これは、離婚の時に聞いた話で、もちろん本人の気持ちや両親や元夫の状況にもよるのでしょうが、流れとしては私の両親のもとへ。
となると、また想像しますよね~、ジジとババに育てられるのか。
いや~、無理だわ。
っとなると、兄家族のもとに?
いやいや、そこにはそこの家庭があるし、私が死んだからって、急に兄家族と一緒になんてそんな迷惑かけたくない。無理無理。
ってなると、やっぱり養子縁組してる今の主人の言葉に甘え、兄妹離れず暮らすのが良いのか。
でも、主人も結婚4年で妻に先立たれ、ちびっこ二人を一人で育てるなんて大変!

っという行き場のない考えに陥り涙しました。
が、結局、どんだけ考えても、その時私はそこにいないのです。何も言えない、この世に存在しない人になってしまってるんです。
遺書を書いたとて、無かったことにされたら終わり。
生きている人達がその後を考え、ベストな状態を選択して生き続けてもらうしかないのです。
ってことは、私にはどうしようもない⇒なるようになる。
そこに行き着き、堂々巡りな思考は止まりました。笑

まずは私が麻酔から目覚めること!
それが一番、いや、死んではいられない、死ななければいいんだ!
まだまだやりたいことはいっぱいあるし、子供が成長して手が離れたら、主人と遊ばなきゃ、っとまぁ最終的には私は生きる(^^)/
そして遊ぶ!ってとこに落ち着きました。

今はまだ完治していないし、再手術となると麻酔が怖いけれど、仕事にも復帰できて普通の生活が送れている。
これでいいや♪
そんな風に思う最近です。

結局、最終的には楽天家?!
なるようになる~笑

続く~