感じた違和感 | 内から見る創価学会

内から見る創価学会

活動停止した創価学会の会員です。
今の組織に対する私の思いを書き記します。
詳しくはプロフィールをご覧下さい。

 

11月23日に全国各会館を繋げて「創価学会葬」が執り行われ、その後26日まで映像配信があった

 

 

どのような葬儀が行われるのかを見て、自分なりのお別れをして、また記事を書こうと思っていた

 

 

最後くらいはと参加の意思を持っていたが、逝去の発表から前日まで、一連の学会側の動きを見て、私は創価学会葬に参加することを止めた

 

 

 

もちろん、地域の学会員に会う事も面倒だという気持ちがなかったわけではない

 

 

しかし、いろいろ言いながらも生まれてからつい最近まで何十年と自分が「師匠」と崇めてきた人の葬儀

 

 

会場に行って特別映像なんて見せられたら、たぶん今の私でも胸に響くものがあっただろう

 

 

もしかしたら涙したかもしれない

 

 

でもそれは、師を失った悲しみだっただろうか?

 

 

自分が創価と共に生きてきたこれまでの人生に対する後悔か?怒りか?

 

 

どんな感情が湧いてきたかわからない

 

 

さまざまな思いが錯綜しそうだと思っていた

 

 

 

 

 

しかし何だかおかしなことになっている

 

 

何だろう、この違和感は

 

 

とにかく悩みに悩み、考えて撤退を決めた

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

なぜ、行くのを止めたのか?

 

 

数日間、考えていた

 

 

 

 

それはまず18日の学会からの報告に、大きな違和感と不信感を抱いたことにあった

 

 

18日、池田博正主任副会長(以下、博正氏と言う)と原田会長(以下、会長と言う)が並んで報告会見をした

 

 

時間は午後2時収録となっていた

 

 

博正氏はご存じの通り池田先生の実の長男である

 

 

相変わらずの感情のない、いつも通りの表情と言葉

 

 

博正氏によると、池田先生は15日夜半に新宿区内の居宅で亡くなったらしい

 

 

17日午後、会長の導師で家族葬を行い、今日18日の午前に長谷川理事長の導師でお見送りし荼毘に付したと

 

 

つまり、この会見はそのお見送りのわずか数時間後ということになる

 

 

その割に、二人とも喪服ではなくスーツにふつうのネクタイである

 

 

博正氏は紺系のレジメン、会長はブルーのネクタイ

 

 

わざわざ会見のために着替えるのか?

 

 

お見送りは間違いなく喪服だったよな

 

 

 

 

この後、博正氏は母である香峯子夫人の言葉を伝言として披露した

 

それは後で触れることにする

 

 

 

発表を遅らせたのは創立記念日の諸行事、学園の行事を予定通り行ってもらいたいという家族の意向からとのことらしい

 

 

そんなに創立記念、学園行事が師匠の死より大事な事か?

 

 

さらに今日の新聞の「お歌」は事前に頂いていたものと、わざわざここで弁明しているのも不思議な感じがした

 

 

言わなくてもふつうにわかる事だろう

 

 

 

 

 

続いて会長だが、まず冒頭驚くべき言葉を発する

 

 

「只今、池田主任副会長から突然の訃報を伺い、大変に驚くとともに深い悲しみをおさえることができません」

と、至極冷静な口調

 

 

「えっ、只今、突然の訃報ってどういうことよ」

 

 

私は思わず映像に向かって心で叫んだ

 

 

昨日、家族葬の導師を自分がやったのでは?

 

 

どう考えても、今聞きましたという言い方ではないか?

 

 

それとも事前に収録したものなのか?

 

 

そういえば、その割には二人ともたかだか2分ずつくらいのスピーチなのに原稿をしっかり準備して読んでいる

 

 

しかも締めの言葉は「この上は私どもは池田先生のご遺訓・ご指導を命に刻み、国内広布はもとより、世界広布の実現と創価学会の万代にわたる興隆をめざし、鉄槌の団結を一段と強め日々前進してまいりたいと思います」

 

 

切り替え早くないか?

 

 

そのあと23日の学会葬を行い、別途外部を招いての「お別れ会」も行う事を伝え終わった

 

 

本当に事務的と言うか、心に響かなかった報告会見だった

 

 

 

 

たった4.5分の会見映像であったが、見たあと私はすぐに「X」でこの会見に「何とも言えぬ違和感を感じた」とポストしたところ、驚くほど多くのインプレッションと同時に「いいね」をいただいた

 

 

やはり同じような思いを持たれた方はいたようだ

 

 

本当に池田先生は11月15日に亡くなられたのか?

 

 

2人の会見を見て多くの方が不信感を持っておられた

 

 

時系列的にどうも腑に落ちない

 

 

 

 

 

そして、11月23日「創価学会葬」の中で新たな事がわかる

 

 

三男であり創価学園副理事長である尊弘氏は今は学会幹部ではないということなのか、参加していない

 

 

しかし、香峯子夫人はあれだけ本幹では壇上参加もありながらも、この大事な「創価学会葬」には参加しなかった

 

 

何だか、戸田第2代会長の家族のその後を連想してしまうのは私くらいか

 

 

 

それと、もうひとつわかったのが家族葬に永石全国女性部長も参列していたという事だ

 

 

17日の午前に、11・18「創価学会創立記念日」と「広宣流布大誓堂」完成10周年を祝賀する誓願勤行会に会長らと共に参加していた女性部長は、ここでもまた「お元気な池田先生ご夫妻と共に迎えた…」などと、いけしゃあしゃあと挨拶したのだろうか

(新聞にはスピーチ掲載はなし)

 

 

 

その一方で、西方青年部長や梁島男子部長が家族葬に参加したような話はない

 

 

しかも、西方青年部長などは11月18日朝には「X」に、「創価学会創立記念日、誠におめでとうございます!」と、元気にポストしている

 

 

もし、知っていたならさすがにこのようなポストはできないと考えたい

 

 

どちらにしても、本年は「青年・凱歌の年」、明年は「世界青年学会 開幕の年」と言う中で、青年部のトップに何も知らされず、また家族葬やお見送りにも参加させないなどとは普通にあり得る話だろうか

 

 

 

 

ここで博正氏の会見の話に戻るが、博正氏は香峯子夫人の言葉を伝言として預ったと会見の中で披露した

 

 

「不老不死のままに永遠に指揮を執ると語りつつ、幸い全てを託してバトンタッチできましたので安祥としていました」

 

 

まずこの香峯子氏の言葉は真実だろうか?

 

 

もしそうであるなら私は、この伝言は大きな意味を持つと思っている

 


 

 

いったい、いつバトンタッチができたという事になったのだろうかとも思うが、つまりは、永遠に指揮を執るとの本人の思いも含め、バトンを託し終わったと言うのなら、今後は執行部から発せられる言葉は、全て池田先生の意思を汲んだものという理屈になる

 

 

 

会長の言葉は池田先生の言葉になるのだ

 

 

後継の青年にバトンを託すと言っていた池田先生のバトンは、直接渡されることなく一旦、長老に預けられてどこに行くことになるのだろう

 

 

 

 

今日の新聞に11月15日を「池田先生命日に制定」したとの記事があった

 

 

「いやいや制定も何も、その日に亡くなったという事なのだから普通にその日しかないだろう」と突っ込みたくなった

 

 

因みに11月15日は、第3祖日目上人の命日でもある

 

 

49日は1月2日になるようだ

 

 

その日は池田先生の誕生日である

 

 

学会流に言えば「奇しくも49日がお誕生日となった」

 

 

いろんな「偶然」は重なるものだ

 

 

 

 

感じた違和感