「法戦」と言う名のもとに | 内から見る創価学会

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活動停止した創価学会の会員です。
今の組織に対する私の思いを書き記します。
詳しくはプロフィールをご覧下さい。

 

自分にとって長年、師匠と思っていた人のことを書くのには、正直かなりのエネルギーを使いました

 

なので、少し間を開けていました

 

引き続き、まだ過去の書籍は熟読中です

 

 

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いよいよ全国的な統一地方選も明日からとなりました

 

明日は知事選、県議選、それと市議選も一緒にあるところもあります

 

今、組織とは距離を置いていますが、LINEグループはさすがにまだ抜けるわけにはいかず、ここしばらく昼夜関係なく入る連絡に正直、辟易している毎日でした

 

連絡には「限界突破の戦いを!」「敵からもぎ取る!」「追撃の手を緩めるな!」などと、勇ましい(?)言葉が並びまくります

 

とても世間で一般的に使われるような言葉ではありません

 

他人が見たら、いったいこの人たちは何と戦っているのだろうと思われるでしょうね

 

 

 

数カ月前からの準備期間を経て、組織挙げての議員まわしや語る会の開催

 

対話拡大と称して、やってることは公明党の政策チラシ配り

わが公明党の実績を誇らしげに語り、都合の悪いことには目を瞑る

 

告示が近づけば毎週の会合にF(頼んだ人の数)報告

 

目標にいっていない地区は幹部の叱咤、困った末端幹部はやむなくエア報告

 

毎回「危ない!」「当選圏外!」と何十年も同じ台詞で会員に危機感を煽る

 

告示になると当日までは連日の拠点闘争に報告

 

相手の予定も関係なく、期日前投票のお願いに連れ出し

 

週末には、時代錯誤の早朝拠点出発

 

当日も、もちろん早朝からの1日闘争

 

一人も残すなと、お礼と称して確認また確認の電話

 

投票箱が閉まる夜8時には皆で歓喜の(?)報告会

 

 

私も気付かない一人でしたので偉そうには言えませんが、これはやはり一宗教団体が、いくら支援として行っているにしても異常としかいえません

 

この行動を「何のため」にやっているか

 

そこを自分で本当にわかっている人はどれだけいるのかは疑問です

 

おそらく、聞けば答えは人それぞれでしょう

 

「宿命転換のため」「広宣流布のため」「自身の幸福のため」などなど

 

答えは違えど、共通していることは自分のその行動を、何とか理由付けして正当化しているということです

 

以前も書きましたが、ここまで自分の生活や時間を削ってやってきたことに、何らしかの意味を見出せないとそれこそ本末転倒です

 

組織は池田先生という「虚像」を利用し、最終的には「池田先生に勝利のご報告をしましょう!」という宣伝文句を使い「勝つ」ことこそ正義だと訴えます

 

そこで勝利したときに、会員は何とも言えない満足感を得て、やっぱり自分がやってきたことは間違いなかったという錯覚に陥るのです

 

 

そこで何が得られたのでしょう

 

失ったものの方が多くはないでしょうか

 

笑顔で「入れるよ」と言ってくれた人たちがどれだけ入れてくれたでしょう

 

勝ったのは公明党であり公明党の議員です

 

それを我が「勝利」と捉えること

 

この感覚は何なのでしょう

 

 

私の敬愛する「ラケットちゃん」さんが

※興味ある方はぜひブログをお読みください

https://ameblo.jp/raketto-chan/entry-12793947805.html

 

“ 池田大作・創価学会組織と熱烈な会員との、サド・マゾヒズム的共棲関係「師弟不二」”とのタイトルで、研究論文形式で社会心理学者エーリヒ・フロムの言葉を引き、以下のように書いておられますので、ご本人の許可を得た上で、その一部を引用させていただきます

 

 

 

『組織に所属する信者は、その中で、様々な組織活動の中で、目標を達成した達成感を得、周りから称賛されたり役職などの地位・名誉を与えられ、自身の生きがいを見出す。

 

フロムはこうした心理について、「個人的自我を絶滅させ、たえがたい孤独感にうちかとうとする試みであり、マゾヒズム的努力の一面にすぎない」と指摘し、加えてこう指摘している。

 

「もう一つの面は、自己の外部の、いっそう大きな、いっそう力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。

その力は個人でも、制度でも、神でも、国家でも、良心でも、あるいは肉体的強制でも、なんでもよい。

 

ゆるぎなく強力で、永遠的で、魅惑的であるように感じられる力の部分となることによって、ひとはその力と栄光にあやかろうとする。

 

ひとは自己自身を屈服させ、それのもつすべての力や誇りを投げすて、個人としての統一性を失い、自由をうちすてる。

 

しかしかれは、かれが没入した力に参加することによって、新しい安全と新しい誇りとを獲得する。またかれは疑惑という責苦に抵抗する安全性をも獲得する」

 

これはまさしく多くの原理主義的学会員の心理と重なっている――つまり、池田大作や学会組織へのマゾヒズムである。』

 

 

どうでしょう?

的を得ていると思いませんか?

 

 

以下、中略しますが続きます

 

 

『池田大作を慕う熱心な学会員の心の中では「池田先生の正義を語っていこう」ということは、同時に「自らの正義を語っていこう」ということに転嫁され、自身のあらゆる行為の正当化の根拠としている。

 

その内容についての吟味などは一切しないで、自分自身にも言い聞かせ、他人にも正義として広宣流布として訴えていく。

この延長線上に公明党の票取りがあるが、自分たちが支持する公明党の政策の是非はあまり論争されない。

それは、ほとんど事実上は創価学会=公明党であるからだ。』

 

 

もうここまで的確に書いてあると私の言う事はありません

 

 

自分たちが「法戦と言う名のもとに」広布の戦いだと思ってやっていること

 

それは創価学会と言う巨大な城壁の中で、与えられたことに、自分がやっている価値を何とか見出しながら、自己満足感を得ているに過ぎないのだと思っています

 

 

「法戦」と言う名のもとに