書籍「人間革命」に思うこと | 内から見る創価学会

内から見る創価学会

活動停止した創価学会の会員です。
今の組織に対する私の思いを書き記します。
詳しくはプロフィールをご覧下さい。

「人間革命」を読んだことがあるだろうか

 

さすがに学会員でこれを一度も読んだことがない人はいない

(いや、今ならいるかもしれないな)

 

一言に「人間革命」と言っても大きく分ければ下記の3つに分けられる

 

 

①   作者 妙悟空(戸田城聖)  「小説・人間革命」上下巻

 

②   作者 法悟空(池田大作)  「人間革命」全12巻

 

③   作者 池田大作       「新・人間革命」全31巻

 

 

 

戸田城聖が出した本というものは、講義本などを除き基本的にはない

 

①はそういう彼の貴重な自筆本であるが小説、つまりフィクションである

 

今読めばいささか古くさい感じは拭えないが、戦時下における国家の活動の制限の中、庶民の姿などと共に、創価学会を立ち上げていく様子が、なかなか軽快なタッチで描かれ面白い

 

映画化もされたが、後半クライマックスでは獄中体験をもとにした、悟りに至る高揚感の描写はちょっとしたエンターテインメント感もある

 

 

さて、②と③については頭に「小説」という文字はついていない

 

書籍ジャンルはあくまで「ノンフィクション」である

 

 

そもそも①とはジャンルが違うので同等に比べるのはおかしいかもしれないが、正直、内容としては薄っぺらい感じがしていた

 

素人が大変失礼な言い方だが、文章の稚拙さが拭えない感があり退屈な本である

 

 

最初の「戦争ほど・・・」の書き出しこそ有名だが、途中からは年表の羅列のようで、さらに国内外の会員とのエピソードなどをだらだら織り交ぜてはいるが、何か人間の息遣いが聞こえてこないのだ

 

 

特に③についてはその傾向がさらに強い

 

 

今や「御書」と同等くらいの扱いで、創価学会の「未来のバイブル」として全世界に訳されている「新・人間革命」

 

全国各地で「人間革命池田塾」などと称して勉強会なども行われているが、一般の人が読んでもまずこの本を評価する人は少ないのではないか

(佐藤優くらいを除いては…)

 

 

なぜ、他の学会員のように「ここを読んでこんなに感動した!」と言えるかがわからず、私の信心が足りないのか、師匠への思いが足りないのかと、自責の念に苛まれたこともあった

 

 

そもそも私はこの「新・人間革命」を読んだ時から、ずっと違和感を覚えていた

 

ただ、これまでその違和感や疑問は組織の誰にも口にすることはなかった

 

「人間革命池田塾」などは、皆でこの本についてどこに感銘したかを語り合う場だ

 

そんな中、この本の悪評などとても言えるわけがない

 

もしかしたら、同じようにそれを感じていた人がいたなら、教えてほしい

 

 

筆者は「池田大作」となっている

 

 

実際に、執筆を始めた沖縄での写真や、その原稿が残っているし、それは私も何度も見たことがある

 

 

なのに、なぜ違和感を覚えていたのか

 

 

それは、筆者が回顧録として書くには、主人公があまりにも美化されているように感じたからだ

 

 

例えば今、おもむろに手に取ってみた「新・人間革命 第9巻」を開いてみる

 

「鳳雛の章」P166

ここは高等部員会で学会歌の指揮をとった山本伸一への高等部員の心の声が描かれている

 

・・・メンバーは、目を潤ませながら熱唱した。「“先生は、お疲れであるはずだ。しかし、ここまでやってくださる・・・”

この部員会は、参加者にとって、生涯、忘れえぬ思い出となった。

 

 

「光彩の章」P247

ここは初対面の婦人部に生涯不退転の指導をしているところだ

 

「・・・私は、あなたの勝利を待ちます。勝って輝く姿を見たいんです」

彼女は、初対面の自分を、全魂を込めて励ましてくれる山本会長に、深い思いやりの心を感じた。太田は、ホテルを後にする時には、新たな決意を固めていた。

 

 

山本伸一はもちろん筆者の事である

 

 

わずか1冊、ペラペラとめくっても、この高等部員や婦人のように、山本伸一に対する尊敬の念がこの本の中には各所に散りばめられているし、それはもちろんこの巻に限らず他の巻も同様だ

 

 

これを、筆者本人自らが書いているなら、あまりにもナルシシズムすぎて「気持ち悪い」話ではないか

 

 

自分で自分を尊敬に値する人物と言っているのと同じだ

 

 

それがある時、「新・人間革命」にはゴーストライターがいるということを聞いた

 

私が感じていたその違和感は、別に作者、いわば弟子のゴーストライターがいたと言えばストンと腑に落ちてしまった

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ここからはあくまで私見であることを念のために言っておく

 

 

 

実は「新・人間革命」はノンフィクションと言いながら、かなり脚色されたものなのだ

 

つまりジャンル分けで言うと、ノンフィクションではなく、創作エピソードも入ったノンフィクション・ノベルだと言える

 

 

史実を踏まえたエンターテインメント作品なのだ

 

 

もっと言うなら他人が書いた「礼賛小説」の方がしっくりくる

 

 

さすがに決してすべて創作というわけではないだろう

 

 

実際にこの中に描かれた場面の中で、その場に居合わせた方を知っているし、それはおおよそ描かれたものに近かったと言う

 

 

しかし問題はそこではない

 

この「人間革命」は作者が命を賭して書いた作品のはず

 

ある時は、海外の旅先で夜更けまで執筆、ある時は、地方指導の車中の中で、またある時は、病床から口述で…などのエピソードがある

 

実際、あとがきの中でもそのように本人が書いている

 

それが、そのほとんどを他人が書き、推敲し、纏めたものであるなのなら「立派な裏切り」である

 

 

そしてそれは「人間革命」だけにとどまらず、ありとあらゆる書籍やメッセージ原稿にも及んでいるという

 

 

違うと言うのなら冒頭の原稿だけでなく、自筆の全原稿を学会の博物館か何かにぜひ展示していただきたい

 

御書同様、未来の創価の遺産とするならなおさらだ

 

ゴーストライターの真偽や、それ以降については長くなるのでまたの機会に書かせてもらいたいと思う

 

 

 

 

書籍「人間革命」に思うこと