こんちゃ。

ぼなんざデス⭐️

気温か高くて水分補給をかなり摂りまくっている今日この頃…


 今回はウパニシャッド哲学の「我(アートマン)亅を少し勉強しました。

 

 うーーん…はっきり言って難しい…😓😓😓

そもそも自分自身そのものとは何なのかを今まで考えたことがない…とりあえず自分なりにまとめました。



  ウパニシャッド哲学とは

 ウパニシャッド哲学は、古代インドの哲学的な伝統である。紀元前8世紀から6世紀にかけて書かれたと考えられており、ヒンドゥー教の重要な哲学的基盤を形成しています。ウパニシャッドは、宇宙の本質、存在の本質、魂の本質など、実存に関する根本的な問いに対する答えを追求することである。



  梵我一如

梵(ブラフマン)…世界が成り立たせている根本原理

我(アートマン)…個人が成り立たせている根本原理

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この二つは実は全く同じである。[自分=世界]という考え。



  我(アートマン)とは?=(自分とは何か)

自分自身とは何か

•あなたの爪や髪の毛はあなた自身ですか?

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答えは✖️。切り落としたものを私とはならない


•あなたの職業はあなた自身ですか?

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答えは✖️。会社をクビになってもあなたはあなた


•あなたの名前はあなた自身ですか?

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答えは✖️。姓が変わってもその人自身変わらない


•あなたの個性はあなた自身ですか?

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答えは✖️。価値観は移り変わるがあなたのまま


•あなたの身体はあなた自身ですか?

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答えは✖️。腕や足を失ってもあなたである


•あなたの脳はあなた自身ですか?

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答えは✖️。脳が意識を生み出しているというメカニズムは解明されていない



  「脳=私亅という関係性

※上記の「脳があなた自身であるか」の問いにもう少し詳しくしてみた


 脳を失えば生きてはいられない。だが、この問いにYESとは言えない。

 脳科学の見地から言っても「脳が自分自身である亅というのはガバガバ理論である。何故なら、脳が意識を生み出しているというメカニズムは解明されていないからだ。僕たちは何者かによって夢を見させられており、本当の現実世界にいる僕たちは脳なんて器官は持ち合わせてないのかも知れない。

 脳とは、シナプス同士が化学物質をやりとりするだけの内臓だ。それは伝言ゲームのようなものであり、先頭の人が糖質を感知、次の人に甘いものを食べてみたいと伝える。それがどんどん続き、最後の人に情報が伝わり、甘いものを食べたとわかって快楽物質が出るボタンを押す。

 だが、僕たちが感じている「甘い」や「辛い」などという意識体験が、やりとりとどのような関係があるのか全くわかっていないのである。

「脳が意識活動の源である亅という命題は、実は根も葉もない思い込みなのだ。

「脳=私亅という関係は科学的に解明出来ていないし、出来る見込みもないということ。

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 そして、このように徹底的に考え尽くすことが哲学者の重要な思考法なのです。



  結局「私亅とは何か

 あなた(私)とは「意識現象」である。僕たちが感じる、重たい、眠たい、明るい、楽しいとかこういう何かの感覚を認識するという現象自体に「認識主体」と言ってもいい。それがあなたの正体なのだ。



  これがわかったら何なるのか?

 この「我(アートマン)亅が本当に理解出来ると、あなたは無敵かつ不死になる。何者にも傷つけられず、死なない!


<東洋哲学者ヤージュヴァルキヤの結論の三つ>

•我(アートマン)とは認識するものである。

 上記に書いた、認識主体こそがあなたの正体なのだ。


•認識するものを認識することはできない。

 僕たちの本質は認識するものである。「認識するもの」自身を認識できない。これは主体と客体の関係であるから、要するに見る人がいて見られるものがあるということ。※例)自身の右目で自身を見れない。(鏡を通じて見ているのは右目の像であり右目ではない。)

 認識の対象にならないから「アートマンは⚪︎⚪︎です」とは言えない。何故なら、それは名前を付けた時点で認識の対象として表現しているから。だから、「〜に非ず亅としか表現できないのだ。

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 因みに、西洋哲学者サルトルも「存在と無亅という著書の中で全く同じ結論に辿り着いている。


•我(アートマン)は何かの対象になり得ない。これが不死の真実である。

 僕が誰かに暴力を受けたとしても認識主体である僕は傷つきません。「傷ついている僕」を認識しているのが本当の僕なのだから。映画を見ている観客が、活躍する主人公を見て観客が「俺の人生はなんて素晴らしいんだ亅と言い出す。主人公が惨めな目に遭った時に「俺はどうしてこんな奴なんだ亅と喚き出す。

➡︎自分ではないものに同化して「不幸だ、不幸だ亅と勝手に喚く。これが不幸の正体である。



  我(アートマン)の真実

•僕たちは悩みます。けれど、悩みを観察しているのが本当の僕たちです。そこに混乱はありません。

•僕たちは痛みに喚きます。けれど、その痛みを観察するのが本当の僕たちです。そこに問題はありません。

•僕たちは怒りや悲しみを感じます。けれど、その怒りや悲しみを観察するのが本当の僕たちです。

 それが僕たちのあるがままの有り様です。これがウパニシャッド哲学が看板にしたアートマンの真実である。




感想 

 自分にとってこの哲学は難解でした。今もよくわかっていないです💦

 ただ、「自分自身とは何者なのか?亅の問いにここまで徹底した考えを持つこと自体、哲学者の努力がひしひしと伝わってくるのは確かです。東洋哲学者のヤージュヴァルキヤの考えた結論と西洋哲学者サルトルの考えた結論が同じ結論に至っていることも哲学者の凄みを感じました。

 哲学を知ったところで人生の為にならないとか思っている人もいますが、自分は何か仕事や身内のことで悩んだりすることがあれば悩みの解決方法の参考として哲学者の本を読んだりします。僕にとって哲学は面白くて人生のバイブルですよ、今は!!😁

 そして、参考文献は勿論、飲茶さんの「史上最強の哲学入門~東洋の哲人たち~」です。



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