聖書から悪い言葉が持つ恐ろしい力やその影響について見ていきましょう。

 

◾️人はなぜ悪い言葉を使ってしまうのか?

一言で言うとそれは心の状態が悪いからです。

 

(マタイ12:33-34)木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。 まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心にあふれることを、口が語るものである。

 

(マタイ15:18-20)しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。 というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証ぎしょうそしりは、心の中から出てくるのであって、 これらのものが人を汚すのである。

 

 つまり、心が良いもので満ちているなら口から良い言葉が出て、心が悪いもので満ちているなら口から悪い言葉が出てくるということです。例えば、心が愛に満ちているなら愛のある言葉が出てきますし、心が憎しみで満ちているなら暴力的な言葉が出てきます。ただ、聖書によるとそもそも人間は誰しもが神にそむく罪の性質を持っており、罪が心を覆っています。

 

(ローマ3:23)すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、

 

そのため、私たち人間が悪い言葉を一度も発せずに生きることは不可能なのです。

 

◾️悪いことばを使ってはいけない3つの理由

①言葉にはすごい力があるから

 私たちは常日頃から当たり前のように言葉を使っており、深く考えずに言葉を発しているかもしれません。しかし、言葉が持つ影響力を見くびってはいけません。なぜなら、良くも悪くも言葉にはすごい力があるからです。

(箴18:21)死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる。

 

(ヤコブ3:2-6)私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。

馬をぎょするために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。また、船をみなさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きな森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。

※ゲヘナ=地獄 ※新改訳

 

 悪口や暴言、ののしりといった悪い言葉は他の人を深く傷つけ、ときには命さえも奪います。しかも悪い言葉によってダメージを受けるのは、その言葉を受け取った相手だけではありません。悪い言葉を発している本人も大きなダメージがあるのです。なぜなら、その言葉を一番よく聞いているのは自分自身だからです。悪い言葉を相手にぶつけているつもりでも、実はそれを聞いている自分にも悪影響を与えているのです。

つまり、悪い言葉を使うというのは他人も自分も傷つける不毛ふもうきわまりない行為なのです。

 

②神に裁かれる日が来るから

聖書によると、私たち人間は誰もが例外なく神の前に立って”最後の審判”を受けるときがきます。その際、行いもそうですが、私たちが今まで発してきた”言葉”についても ジャッジされます。

(マタイ12:36)あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。

 

それくらい私たちが発する言葉には大きな責任があるということです。実際、聖書には”悪い言葉を使うな”という警告がいくつも書かれています。

 

(エペソ4:29)悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。

 

(コロサイ3:8)しかし今は、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。

 

③神をも侮辱する行為だから

 誰かに対して悪い言葉を使うのは人間だけでなく神をも侮辱する行為です。なぜなら、人間は神に似せて作られた神の作品だから。

(ヤコブ3:9-10)わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。 同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない。

 

 私たちは神がご自分に似せるほど愛情たっぷりに造られた素晴らしい作品です。となると、その人間に悪い言葉をぶつけるというのは神を侮辱するにも等しいのです。神は私たちを死ぬほど愛しておられます。だからこそ、愛する人間同士が罵り合ったり暴言をぶつけ合ったりすることをとても悲しまれます。

 

◾️悪い言葉を使わない5つの方法

1神に心を清めてもらう

 悪い心の状態から悪い言葉が出てくるからです。裏を返せば心を良い状態にしてやれば、もう悪い言葉は出てこなくなるということでもあります。だからこそ心を神に清めていただくのです。

 

ダビデが大きな罪を犯したとき、このように神に祈りました。

(詩51:10)神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊をお与えください。

 

 私たちの心の中には罪などの汚れがあり、人間は自分の力ではそれらを清めることはできません。ですから、自分の罪などを告白し内側から神に清めていただきましょう。

 もしまだイエス・キリストを信じていないならイエスを信じていきましょう。イエス・キリストは私たちの罪を背負うために十字架に架けられました。私たちの心の汚れは神(イエス・キリスト)によって清められていくのです。

 

(Ⅰヨハネ1:9)もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

 

2言葉を発する前に吟味する

私たちは意識しないと頭に浮かんだ悪い言葉を反射的に出してしまうことがあるからです。

 

ソロオン王はこのように語っています。

(箴15:28)正しい者の心は答えるべきことを考える、悪しき者の口は悪を吐き出す。

 

ですから、言葉を発する前にしっかり考えて人を励ましたり恵みを与えたりする言葉を使うことが大切です。

(コロサイ4:6)いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。

 

3お祈りをして気持ちを吐き出す

神は私たちを愛しており、どんな汚れも受け止めてくださるからです。

 

 例えば、時にはダビデも激しい言葉を使いながら敵への怒りや神への不満など自分のネガティブな思いを正直に神にぶつけています。

(詩58:6-8)神よ、彼らの口の歯を折ってください。主よ、若いししのきばを抜き砕いてください。彼らを流れゆく水のように消え去らせ、踏み倒される若草のように衰えさせてください。また溶けてどろどろになるかたつむりのように、時ならず生れた日を見ぬ子のようにしてください。

 

(詩13:1)主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。

 

 神は私たちの心の中などすべてお見通しですし、表面的なお祈りを神は喜ばれません。ですから、悪い言葉を口に出す前に自分の心の内を素直に神に吐き出してしまいましょう。神はどんなネガティブな思いも受け止めてくださいます。

(詩62:8)民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。

 

4感謝の心を持つ

 ”感謝”には私たちの言葉を良いものに変える力があるからです。心が感謝で満ちあふれながら汚い言葉を吐くことは難しいですよね。聖書にも悪い言葉を使わずい感謝を捧げろと書かれています。

(エペソ5:4)また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。

 

また感謝をもって祈ることで、神の平安が心を守るとも書かれています。

(ピリピ4:6-7)何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

 

5聖書を読む

聖書を読むことで心が清められ、悪い思いや言葉から守られるからです。

 

イエスは弟子たちに語った。

(ヨハネ15:3)あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。

 

神は聖書を通して、私たちがどんな言葉を使えばいいのか知恵を示してくださいます。

 

 人の言葉いは良くも悪くもとてつもない力があります。人を励まし力づけることもできれば、傷つけて破壊することもできる。にも関わらず、私たちは無意識に悪い言葉を発してしまいます。悪い言葉を使わないためには、まず自分の心の状態に気づくことが大切です。そして、神(イエス・キリスト)を信じることによって罪が赦されて心が清められ、悪い言葉を使わない生き方ができるようになります。

(ヤコブ3:2)わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。